
10年以上前になりますが、私が東京の会社でサラリーマンをしていた時の話です。
田舎から上京してきた二十代前半の私は、全くの独り身でしたので、一所懸命に働いて給料も上げていくぞと向上心に燃えていました。しかし、田舎者によくある挫折はすぐに訪れました。都会に出ると自分より優秀な人は山ほどいることを知ってしまうからです。それでも、職場の先輩方は優しく、忍耐強く私を指導してくださいましたので、必要最低限の仕事は何とか覚えることはできたのですが、言葉にならない焦燥感のようなものを私は常に心のどこかで感じていました。
ある日、ある先輩と私との二人で出張へ行くことになりました。その先輩は、派遣社員として勤められていましたが、私は職場の先輩として慕っておりましたし、その方も、会社の垣根を超えて、分け隔てなく私にご指導してくださっていました。
その先輩は、職場では、いわゆる目立った存在ということでもなく、どちらかといえば地味な働き方に見える方でした。若かった私は、技能の高い先輩でしたので、もっと大きなプロジェクトに手を挙げて実績を積んでいかれたら良いのにと思っておりましたが、その先輩は良い意味で「出世を諦めたサラリーマンの強さ」を備えられているように思えました。
挫折を味わっていた当時の私は、「どういうメンタルで仕事を続けておられるのか」というテーマで色んな先輩方に興味を持っていました。ある意味で、出世を諦めたサラリーマンのメンタルは最強なのではないかという仮説まで独自に持ち出していました。
出張の夜、居酒屋で先輩と食事をしながら、思い切ってインタビューしてみました。「仕事はどういうメンタルでされてるのですか」と。すると先輩は即座に「生活のためと割り切ってやってるからね」と笑顔で答えてくださいました。
そこからお酒が入ったこともあり、プライベートの話になっていくと、先輩は多趣味であることがわかってきました。車が好きで中古の軽自動車を何年も改造しながら乗っていること。その車でサーキットへ走りにいっていること。電子工作が好きでたまに品評会に出したりしていること。そこで優秀賞をとったこと。職場だけのお付き合いでは全く想像もつかなかった、先輩の厚みを感じました。
出張から戻り、仲の良かった同僚と、その夜のことを話していると、私がキャッキャとはしゃぎ過ぎていたのを落ち着かせようと思ったのか、「本当にあの人はすごいんだよ」と話しはじめました。
私が出張をご一緒した先輩は、盲目のご両親に育てられ、経済的にも苦しく、世間的な目にも辛い思いをされた幼少期だったそうです。ご結婚された新婚間もない頃に奥様がご病気で他界され、それがきっかけで鬱病を発症し数年間苦しまれていた。それを乗り越えて、今の仕事をされているとのことでした。
私は、驚きのあまり、言葉を失いました。もう私の挫折感などどうでも良くなるほど、壮絶な道を通ってこられていたのだと知りました。
出張の夜からしばらく経ったある日、ご一緒した先輩から自宅に遊びにこないかと声をかけていただきました。電子工作で新しく楽器を作ったとのことでした。私も趣味でバンドをやっていましたので、それは面白そうですねとお邪魔することにしました。
先輩の部屋は、一般的な1Kの間取りでしたが、工作機器が至る所に設置してあり、部屋というか工房と呼ぶべき場所になっていました。
この時も先輩は色々と話をしてくださったのですが、私が気づいたのは、「自分の好き」を軸に生活を組み立てておられる先輩の生活の豊かさでした。
誰かと比べたり、誰かと競ったり、争ったりという価値感からではなく、自分が好きなことをやりたいからやっているという、先輩のありのままの姿に、私は人としての純粋な美しさを見ました。
今回、コラムの第二回を書かせて頂くことになり、そのテーマをお聞きした瞬間に先輩との思い出が蘇ってきましたので、個人的なことで恐縮しつつ素直にそのことを書いてみることにしました。
他人と自分とを比べるような形で自己評価の基準を持ってしまうと、「自分の好き」がどこかに飛んでいって、見えなくなってしまうのではないかと思います。
「自分の好き」とは、別の言葉で言うと「自分らしさ」と言えるかもしれません。「自分の好き」は自分の中から自然に湧き上がってくるものだろうと思います。
今までご相談を受けてきた経験からですが、「自分の好き」のお話をさせて頂くと、ご相談者さんの中には「その好きなことも何もないんですよね」とお話しされる方もいらっしゃいます。その理由には色んな背景があると思いますので一概には言えませんが、一つには、ご本人が気付かないうちに、相当に疲れを溜め込んでいらっしゃる可能性があるかも知れません。具体的には、睡眠不足、不眠症のようなケースです。
ある方の例ですが、仕事で午前3時、4時まで仕事する日々が続き、睡眠時間は1日3時間ほどの状態になっていたそうです。あまりにそれが続いたため、その状態がその方の中では普通になってしまい、自分が不眠になっていることすら気づけていない状態になっていたとのことでした。その状態が2年も続くと、やはり体に何らかの不調が出てきたり、楽しいという感情が出にくくなったりしていたそうです。
あるきっかけで、自分が不眠症かも知れないと気づいたその方は、精神科(メンタルクリニック)を受診され、不眠治療に取り組まれたところ、2週間ほどで、体の慢性的な疲れが軽減され、ご飯を美味しく感じる感覚が戻り、映画を見たりして楽しく過ごせる時間も増えたそうでした。
仕事量もマネジメントして、少しずつするようにしたそうですが、しっかり睡眠をとっている分、頭もよく動くので、仕事が滞るということもなかったそうです。
そういう例もありますので、もし「好きなこと」「楽しいと思えること」が思いつかないという方は、疲れているのかも知れない自分に気づくきっかけ、適度に休息を取るきっかけになれば幸いです。
以前読んだ本にこういうことが書いてありました。「昔からやってみたいと思っていたのに、ずっと先延ばしにしていたことのリストを作ってみる」そして、「それこそが、優先的にあなたがやるべきことだ」と。
面白そうだと思い、私も実際にやってみました。壮大な夢のようなことから、週末にすぐできそうなことまで幅広く10個ほど出てきました。妻と買い物へ行く、子供に英語を教えてみる、など、仕事の忙しさにかまけて先送りしていたことを、一旦仕事を後回しにして時間をとってやってみました。
すると新しい気づきがありました。私が本当にやりたいことというのは、こういうことだったのだと。穏やかで豊かな時間がゆったりと流れている。心が満たされていく感覚でした。このワークは、誰かと比べた競争の価値観から、「私の好き」へ、つまり「自分を好きになる」「自分を大切にする生き方」に目を向け直すきっかけを与えてくれたのかも知れません。
先輩の話には、後日談があります。
私は転勤になり、先輩と一緒に過ごした勤務地を離れました。風の便りで、先輩も退職をされ独立の道に進まれたと聞きました。
私は、新しい勤務地の事務所で昼食のコンビニ弁当を食べながら、スマホでネットニュースをみていました。「日本のベンチャー企業、クラウドファンディング含め5億円超の資金調達に成功」の記事を開くと、その会社が開発した商品画像が目に留まったのですが、それは、あの日、先輩の部屋で見せていただいた試作品そのままでした。もしかしてと思い、会社情報を調べてみると、役員一覧に先輩の名前があり、集合写真の隅っこに先輩の笑顔を見つけました。
ビジネスでも大成功を掴まれた先輩の姿に驚きと感動と喜びとで、思わず声を上げて立ち上がりガッツポーズをしていました。良かったですね。先輩、本当に良かったですね。おめでとうございます。と溢れる涙と共に、私は記事を最後まで読みました。
個人的な感想にはなりますが、もしかしたら、「私の好き」を大切にして気分よく毎日を過ごしていると、素敵な結果をもたらすことがあるのかも知れない。そう思いたくなる時があります。実際のところは私にはわかりませんが、そう思うとなんだか希望が湧いてきて楽しい気持ちになるのです。
今回も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
皆様の毎日がますます輝きますように。これからもご一緒できれば幸いです。
また次回のコラムでお会いしましょう。感謝
まっちゃん
【プロフィール】
「人が幸せに生きるとは」をテーマにメンタルヘルス、宗教、精神世界、心理、経済、ITの分野を研究。
実際の生活や経営に応用。
森田療法セミナーアドバンス修了。(九州大学大学院医学研究院 精神病態医学分野内・九州地区森田療法セミナー事務局)
1978年生まれ。システムエンジニアを経て現在は会社経営。