【北陸を元気に!プロジェクト】能登に生きる—— 未来を受け継ぐ力のヘッダー

2024年1月1日に起きた「令和6年能登半島地震」から早3年目。
能登は着実に復興への道を歩んでいる。
震災を機に新たな町づくりに挑む人々、伝統文化を守り受け継ぐ人々、能登の人々の思いを伝える人々⋯⋯。
そしてバトンは未来へと手渡されていく。
復興途中の町を訪ね、能登に息づく新たな芽吹きを伝える。


寺が地域と共にできることは何か
——總持寺祖院と總持寺通り商店街の"未来"へつなぐ試み

髙島弘成さんの画像①

思う気持ちは同じでありたい
——立場を超えた関係づくりを

總持寺祖院 副監院・副寺

髙島弘成 さん

「イベントを開催するようになって、高校生たちも寺によく来てくれるようになりました。新しい企画の相談や境内の掃除をしに来てくれたり、幼い頃の遊び場だった寺をまた身近に感じてもらえるのはとてもうれしいことです。町の人が寺を思ってくれる気持ちと、私たちが町の人を思う気持ちのベクトルの太さは、同じでありたいと。町の人は寺を思って常日頃から足を運んでくれる。だから私たちも積極的に町へ出て行って、町の人たちと語り合い、いろんな行動に移していく存在で居続けたいですね」

「人と人とをつなぐ場所」 学生たちも積極参加の門前マルシェ

曹洞宗大本山(そうとうしゅうだいほんざん)・總持寺祖院(そうじじそいん)の門前町として栄えた輪島(わじま)市門前(もんぜん)町。能登半島西部に位置し、「令和6年能登半島地震」では甚大な被害を受けた。町唯一の商店街である總持寺通り商店街では、震災後、水も店も使えない頃から屋外で飲食や土産品、地域産品を販売するイベント「門前マルシェ」が開催され、復興の象徴となっている。

今回で46回目を迎えるマルシェのスタートは、2021年にさかのぼる。
「もともと生活雑貨のような地元住民向けの商品を扱う店舗が多くて。"観光客向けの企画も考えたいけど、何したらいいか分からん"という人が多かった。と言いつつも、各個店はそれぞれで本日限定イベントや特売日など頑張っていたんです。商店街のにぎわいのために新たなイベントを打ち出し、高齢化率の高い店主たちにさらに頑張ってもらうのは酷だと思い、みんな同じ日にまとめてやろう! イベントにしてしまおう! と始めたのがきっかけでした」

そう話すのは、總持寺通り協同組合・コミュニティマネジャーの宮下杏里(みやしたあんり)さん。
「震災があったから寺と町が一つになったわけじゃないんです。ただ、震災をきっかけに、より一層結びつきが強くなったのは確かだと思います」

宮下杏里さんの画像①

今なら伝えられる
——町に育ててもらった体感教育を次世代に

総持寺通り協同組合 コミュニティマネジャー/一般社団法人NOTOTO.理事

宮下杏里 さん

「この町で生まれ育ちましたが、県外で働いていた当時は、町のことをきちんと説明できなかった。幼い頃から毎日のように遊んでいたお寺が由緒あることも知らなかったし、『門前ってどこ?』って聞かれた時に、『へんぴなところなんですよ〜』って濁してしまう自分も嫌でした。ですが、一度外に出たからこそ、この町の魅力を発信し、磨いていきたいと思ったんです。そして、若い世代が自分たちの町のことをきちんと語れるように、町の歴史も良さも私たち大人がちゃんと受け継いで渡していけたらなと思っています」

2024年1月1日の地震発生後、それぞれ地区の避難所に身を寄せていた門前町の人たち。中学校など人数が多い避難所では発電車などが到着し、比較的早く電気は確保されたものの、食べ物は満足に届いていなかった。賞味期限ギリギリのおにぎりやパンが一日一食分だけ。お米が食べたい、温かいものが食べたい、高齢者は次第に食べる気力を失っていった。

總持寺祖院・副監院(ふくかんいん) 髙島弘成(たかしまひろなり)さんから当時の状況をうかがった。
「私は志賀(しか)町の寺で被災しました。道路や橋が寸断され、いつもなら30分のところを何時間もかけて翌日門前町に戻りました。それから40近くある寺の建物の被害状況を確認、寝食は避難所でしていたのですが、与えられた食べ物はそんな状況で⋯⋯。何かできないかと思い、修行僧たちといったん寺に戻って、お供えの鏡餅を下ろし、ストーブで焼いて配ったりしました」

宮下杏里さんの画像②

寺として今できることは何か 私たちだからできることを考えた

1月4日頃からは、髙島さんのもとへ物資を届けたいという連絡が、全国の寺から届き始めたという。

「修行僧たちと相談して、寺に届く応援物資を避難所にいる町の人たちに配ることにしたんです。災害対策支部で事情を説明し、避難所ごとの不足物資について共有してもらいました。寺宛の物資を載せた車が到着すると、私が一緒に助手席に乗って直接避難所へ届けにいきました。当時、避難所では個人宛の荷物しか受け取れないことになっていましたが、そこにいる町の人たちは私のことは分かるわけですよ。寺からの届け物ならと、受け取ってくれました」

普段から"顔の見えるコミュニケーション"が寺と町の人たちの間にあったことが、このエピソードからもうかがえる。

「そのほかにも、散乱していた寺の台所から、卓上コンロと野菜を探し出して炊き出しをしました。志賀町の自坊の電気は復旧していたので米は炊ける。炊飯器を車の電源につないで、保温したまま避難所まで運びました。カレーやうどん、日替わりで"温かいまま届けられるもの"に挑戦して、うどんがのびるといったハプニングはありましたが、それを5日間くらい続けました」

気心知れた人が温かい食べ物をつくって運んできてくれる。町の人たちはどんなに元気づけられただろう。
そうこうしているうちに、同じように町の人たちのために奔走する宮下さんと町中で再会。それからは髙島さんたちお寺の皆さんと、宮下さんをはじめとする商店街の連携で、さらにかゆいところに手が届く支援ができるようになったという。宮下さんはこう話す。

「避難所に届く物資には結構偏りがあって。一つの避難所に水ばかり大量に届くとか。そこで、本当はこういうものが欲しいとSNSで発信したり、髙島副監院にこの避難所にはこういうものを届けてほしいと相談して、何とかうまく物資が行き渡るように調整しました」

髙島さんと宮下さん、寺と町の人たちの絆は震災前から強固なものだった。ゆえに、被災後の避難所生活でも"顔の分かる者同士の連携"がスムーズにできたのだ。

「避難訓練や防災リュックの備えももちろん大事ですが、実際自分が被災した時、それらはあまり役に立たなかったなと思い知らされました。それよりも、今何が足りない? 何に困っている? 何が欲しい?と聞ける距離にいること、普段からのコミュニティづくりの方がもっと大事。それがこの町にはあったから、今こうしてマルシェを再開できているのだと思っています」

—GUIDE—
輪島市門前町の歴史を伝える 輪島市櫛比(くしひ)の庄(しょう) 禅の里交流館
曹洞宗大本山總持寺祖院の歴史と門前町の文化を紹介する文化施設。館内では、總持寺祖院が全国から修行僧や参拝者を迎えて栄えた様子を、映像やパネルで分かりやすく解説している。明治時代の大火で焼失する前の伽藍(がらん)が再現された模型が設置されており、往時の壮麗な伽藍を身近に感じることができる。
また、修行僧の生活や地域の伝統文化に関する資料も展示。訪れる人々に「禅の里」としての精神的背景を伝える。観光と学びの拠点として、能登の文化と精神を広く発信している。

DATE
石川県輪島市門前町走出6-10
☎0768-42-3550
開館時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日:月曜日( 祝祭日に当たる場合はその翌日)、年末年始
入館料:無料
https://www.city.wajima.ishikawa.jp/docs/2013030600032/

写真提供:禅の里交流館

長い道のりかもしれない 今やっていることには意味がある

震災後は中学生や高校生も寺に寄ってくれる回数が増え、話を聞かせてくださいという生徒には、熱心に話をするという髙島さん。

「中高生たちには、復興に向かっていく中で、当然みんなが在学中には完全な復興はできないだろうという話をしています。けれど、じゃあ今自分たちは適当なことをやっていていいのかっていったら違うよね、と。復興を"花"に例えるとしたら、みんなの今の状況は種まきをしているところなんだと。ただ種をまいただけじゃ花は咲かない。毎日水やりをして、周囲に生える草を取りながら手入れをして、初めてそこで芽が出る。いつ咲くか分からない花だとしても、その水やり役をちゃんとやってほしい、と伝えています」

コロナ禍での苦い経験と震災を経て、寺と地域の結びつきは「同じ方向を向き、お互いのために今できることをする」という形で、さらに強くなっていったと言える。

—GUIDE—
人と歴史をつなぐ 重要文化財 曹洞宗大本山 總持寺祖院
1321年に瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)禅師が開いた曹洞宗の大本山。後に峨山韶碩(がさんしょうせき)らによって発展、日本曹洞宗の中心道場となる。1620年代には江戸幕府から大本山として認められ、加賀藩や地域住民の厚い信仰を受け、門前町として栄えていった。
しかし、1898年、明治の大火で伽藍の大部分を焼失し、布教の利便性を考慮して大本山としての機能は横浜市鶴見(神奈川県)へ移転することとなる。その後、能登の地は「總持寺祖院」として再興され、祖院としての役割を担い続けている。
境内には大祖堂・仏殿・山門など16棟が国の重要文化財に指定されており、壮大な伽藍と四季折々の自然が、訪れる人々を魅了する。また、坐禅体験や精進料理の提供、地域との交流イベントも盛んに行われ、「禅の精神」を現代に伝える場となっている。
能登半島地震により被害を受けながらも復興に取り組み、文化財保護と地域再生の象徴として、今もなお存在感を放つ。

DATE
石川県輪島市門前町門前1-18甲
☎0768-42-0005
拝観時間:8:00〜17:00 年中無休
拝観料:大人500円/中高校生400円/小学生200円
坐禅体験:1000円(要事前予約)
精進料理:3000〜4000円(要確認および予約)
https://noto-soin.jp/

500年以上続く揚げ浜式塩づくり復興への道
——日本唯一となった珠洲市・すず塩田村の伝統を守る

浦清次郎さんの画像①

優しかったですよ、先代は——
最後の後継者として技を受け継ぎ守る

浜士

浦清次郎 さん

「昔の職人は、分からないことを聞いても話してもくれない人が多かったと聞きます。先代は自分が教わった時がそうだったから、自分と同じ思いはさせたくないと、私には優しかった。手取り足取り教えるとか、多くを語るわけではないですが、聞けば教えてくれたし、見て覚えろみたいな修業はなかったです。近頃は気温上昇の影響で、塩の濃度を一定に保てない時があります。そこはこれから調整して経験を積んでいくしかないと思っています」

地震と豪雨に見舞われた奥能登の現実 「絶やしてはいけない」先代の思い

道の駅・すず塩田村(石川県珠洲(すず)市)は、「令和6年能登半島地震」に加え、同年9月の豪雨でも甚大な被害を受け休業となっていた。海水をくみに行く浜は地震で隆起し、さらに豪雨被害で揚げ浜には土砂が流れ込んだ。

震災から1年以上たった2025年2月にようやく断水が解消され、3月から一部営業を再開。だが、塩田村までの道路はすべて整備されたわけではない。大型バスの進入は規制されているため、年間2000台来ていたバスもいまだ0台。震災以前ほどの集客は見込めないままだ。

日本で唯一の「揚げ浜式製塩法」で塩づくりを行う仁江(にえ)海岸・すず塩田村は、塩田と塩づくりに関する資料館を併設している。震災以前は塩づくり体験を行っていたが、隆起した海岸は急に深くなるところもあり、一般の観光客の体験はできない状態になっている。

神谷健司さんの画像①

伝統の陰に——
誇れる日本最上級の塩づくりを継続したい

道の駅すず塩田村 駅長

神谷健司 さん

「最盛期には250軒以上あった能登半島の塩田も、昭和中期には106軒、現在残っている揚げ浜式塩田はたったの4軒。そこへ地震や豪雨の被害が重なり、ここも営業ができなくなっていました。水道の復旧もままならない中、地元の学生ボランティアが豪雨で塩田に流れ込んだ土砂をきれいにしてくれて、ようやく営業を再開することができました。震災前は6トンあった生産量は2トンにまで落ち込みましたが、やっと4トンにまで回復。なんとか継続していきたいですね」

揚げ浜塩づくりの職人は「浜士(はまじ)」と呼ばれる。現在は浦清次郎(うらせいじろう)さん一人だけ。道の駅駅長の神谷健司(かみたにけんじ)さんと共に、この塩田村を守り続けている。神谷さんは語る。

「先代の登谷良一(とやりょういち)浜士が後継者をつくっておかなければと、10年前に、この人しかいないと一本釣りで探して連れてきたのが浦浜士。それから10年、浦に自分の技術を仕込んで3年前に亡くなりました。浦は金沢でトラックドライバーをしていたんですが、塩田村近くの出身で、お父さんは塩田組合の元組合長。当時、この辺りの子どもたちといえば、塩田が遊び場みたいなもので、小さい時から塩づくりをずっと見ていたんですよ。だからなじみがある。そういった縁もあり、先代が声を掛けてこの道に入ったんです」

浜士として一人前になるには「塩くみ3年、塩まき10年」。海水を桶(おけ)で海からくんできて、塩田に運ぶだけでも3年かかるという。専用の工具を使い、塩田を均等に均すことができるようになるまではさらに10年かかるという。

「揚げ浜式塩づくり」は天然のミネラルと職人技の結晶

揚げ浜式製塩法は2008年、国の重要無形民俗文化財に指定されている。1959年の「塩業整備臨時措置法」の整備により、日本の塩づくりは大きな転換期を迎えた。従来の伝統的な塩田による製塩から、効率的な「流下(りゅうか)式塩田」や「真空式蒸発法」などへの移行が加速し、揚げ浜式や入浜(いりはま)式などの伝統的な製法は急速に衰退。ここ石川県珠洲市の揚げ浜式塩田は、この大規模整理を生き延びた貴重な文化遺産といえる。

「能登の海岸は干満の潮位差がないので、満潮時に海水を浜に引き入れてそのまま揚げるという製法は取れなかった。人力でくみ上げるしかない。消去法でこの製法が残ったとも言えます。

また、能登では農業や漁業と塩づくりを行っていた人が多く、さらに冬は出稼ぎに出て、塩づくりだけで生業を立てなくてもギリギリ良かったことが、揚げ浜式製塩法を続けてこられた理由の一つと言われています。だから細々とでも残って、続けてこられたんだと思います」
と、神谷さんは話す。

揚げ浜式製塩法でつくられる塩は、舌先にいつまでも残らない、まろやかで優しい味が特徴。砂浜に海水をまいて濃縮する工程により、海水だけでなく砂からの成分も加わり、複数のミネラルが織りなす深みのある味わいになっている。それだけに、料亭などでも高級食材として扱われる。

塩田から集めた高濃度の塩でつくった「カン水」を煮詰める作業は16時間にも及ぶ。海水を塩田へ運ぶ技術はもちろん、釜炊きのコツを習得するにも何年もかかるだろう。揚げ浜式製塩法でつくられる塩は"天然のミネラル"と"職人技の結晶"が一つになった、能登ならではの風土を感じられる一品となっている。

隣接する「揚浜館(あげはまかん)」は、能登の塩づくりの歴史を再発見し、継承するためにつくられた資料館。揚げ浜式製塩法をはじめ、日本や世界各地のさまざまな塩づくりが紹介されている。500年以上続く塩づくりの知恵と技術を、映像・展示・実物資料を通して分かりやすく解説。塩の歴史を古代から現代までたどり、世界各地の製塩文化を詳しく知ることができる。

—COLUMN—
\ 能登はうましや塩までも /
【揚げ浜式製塩法】とは——
揚げ浜式の塩づくりは、まず海岸からかえ桶で海水をくみ上げ、肩に担いで塩田へ運ぶことから始まる。1つの桶の容量は約36L。これを2つ、肩荷棒で担いで運ぶ。くんできた海水を引桶(しこけ)という大きな桶に移してためておき、打桶(おちょけ)を使って霧状にまいていく。まかれた海水は太陽と風によって蒸発し、砂に塩分が付着して「カン砂」となる。柄振(いぶり)という道具を使って、塩田中央につくられた木枠/垂舟(たれふね)にカン砂を詰め、海水を注いで濃いカン水を抽出する。このカン水を6時間程度荒だきし、そのカン水をろ過したあと、16時間かけて釜で本だきすると、やがて白い塩の結晶が現れる。
この工程は天候に大きく左右され、晴天の日にしか作業ができない。「浜士」と呼ばれる職人は、雲の流れや水平線の様子を読み取りながら作業の可否を判断する。日によっては一度に大量の海水をまくこともあり、熟練の技と体力が求められる。

本当の意味での「営業再開」はまだしていない

11月の取材当日、編集部は金沢から珠洲へ向かった。のと里山海道(さとやまかいどう)から珠洲道路に入り、清水町へ。途中迂回(うかい)した山道では、土砂が流れ込んだままの家屋がそのままになっているところもあった。神谷さんによると、輪島から珠洲へ向かう海沿いの道路は、道の駅が営業を再開した今でも、観光バスの走行許可が下りていないという。私たちが行った日も、数名の観光客がいるかいないかという状況だった。

「こうやって取材の方が来られて『今行ける能登』ってよく紹介してくださるんですが、観光バスも通れないでどうやって来るの?というのが現実的な問題です。"塩田技術は残さないといけない"と言いながら、道路は規制がかけられている。ここで塩田を続けていくには、完全に復旧するまでの今現在のことや経過の部分も見てくれないと、来年の今頃、うちは残っているか分からない。将来的な観光や地場産業を見越してやっていくという計画があるのなら、今の今、もっと違う手当や支援の方法があっても良いと私は思います。2年後にトンネルが開通して道ができた時に、いくつ業者が残っていられるだろうかと⋯⋯。その辺りも含めて、長期的な対応が必要なんだと言いたいです」
と、神谷さんの言葉から厳しい塩田村の現状を訴える、切実な思いがひしと伝わる。

—GUIDE—
行って見て感じてほしい塩づくり 奥能登塩田村/道の駅「すず塩田村」
500年以上続く伝統的な塩づくり・揚げ浜式製塩法を今に伝え、その設備を一通り見学することができる。塩の総合資料館「揚浜館」も併設し、揚げ浜式製塩法のほか、世界各地の塩づくりも紹介している。館内では揚げ浜塩や塩加工品、珠洲焼など地域特産品も販売され、展望台からは日本海の荒波と奇岩が織りなす雄大な景観を望むことができる。また、ここでしか味わえない「塩ソフトクリーム」が人気。揚げ浜塩のまろやかさがアイスのうまみを引き立てる特別な逸品となっている。
近年は能登半島地震からの復興を進めつつ営業を再開し、地域文化の象徴として人々を迎えている。

DATE
石川県珠洲市清水町1-58-1
開館時間:3〜11月 9:00-17:00 /12〜2月 9:00〜16:00/年中無休
揚浜館の入館料:大人100円 小中学生50円
塩づくり体験・浜士体験 ※5〜9月(要確認および予約)
https://enden.jp/

写真提供:石川県観光連盟

能登のために何ができるか
能登に寄り添う「能登デスク」の体験型発信

すべての能登を見てほしい!
そして、好きだって言ってほしい!

一般社団法人 能登半島広域観光協会・広報担当

中山智恵子 さん

「能登の復興は遅れているといった話をよく聞きますが、私はかなり進んでいると思います。毎日、道路を直す人がいる。まだ2年ですから。そんな復興していく様子もぜひ見てほしいと思います。これまでは応援のために能登に来てほしい、と言っていましたが、たっぷり応援はしてもらいました。今後は誰のためでもなく、シンプルに自身が楽しむために来てほしい。できれば土地に根付いた文化や風習も体験してもらいたい。すると、その土地の人とつながりができます。また戻ってきたいと思える故郷が能登で増えてくれるとうれしいです」

人とのつながりを大切にしたい 絶対的コミュ力が最大の武器に

「能登デスク」の愛称で知られ、今や数多くのメディアや講演会にひっぱりだこの中山智恵子(なかやまちえこ)さん。20年前に夫の転勤で石川県に移り住み、2015年、北陸新幹線金沢駅が開業した年に設立された一般社団法人能登半島広域観光協会の能登観光案内デスクとして働き始めてから、早10年になるという。

「もともとは福岡県出身ですが、この仕事を機に、どっぷり能登の魅力にハマっていきました。能登あるあるですが、能登に通っていくうちに知り合いが知り合いを紹介してくれるパターンが日常化。ネットワークが広がっていくと同時に、人との付き合いもぐっと深くなっていきました」

人と話すのが好きで、人の懐に入っていく性格が功を奏し、今では担当する能登北部の隅々まで知り合いがいる「コミュ力おばけ」。自身もコミュニケーション能力は相当高いと自負する。

「景色、食は誰が伝えても同じですが、人とのつながりは私だけのものと、ずっと大切にしてきました。だからこそ今がある。一つの武器として続けてきたので、今や怖いものはありません(笑)」

月15回は能登に足を運ぶ中山さんだが、次第に必然的に行くことが増えてきたという。人気のバスツアーも取材時の11月だけで10本をこなすハードぶり。

「最近、私の話を聞きながら能登に行きたいという人が増えてきました。私と一緒なら楽しく行ける、能登とつながれるといった声もあって。ツアーを催行するのは旅行会社ですが、訪れる場所は私が提案。この場所にはこんな面白い人がいると物語を加えられるのも、関係性ができている私の強みです」
一方で、震災後は能登のために何ができるか、観光誘致は能登のためになっているのか、自分のやっていることはこれでいいのかを自問自答する日々だったと明かす。
「その答えを求めてまた能登へ。背中を押してもらうために行っている。結局、私は能登の人たちに助けられているんですね」

さらに半年前、珠洲市の被災者が立ち上げた「リブート珠洲」の被災地プログラムのツアーに参加したことを機に、自身の役割も変わってきたと続ける。

「昨年の5月頃から災害の実態と復興の取り組みを学ぶ視察も増えてきました。最初は目を覆いたくなるような傷跡は見せたくないと思っていたのですが、珠洲の人は『何言ってるの? 私たちはとっくに前を向いているよ』と。目を伏せたままじゃ、能登が全部好きとは言えない。そこからは4m隆起した漁港や崩れ落ちた岩など変わってしまったダークな姿と、美しいままの能登の2本柱を同時に伝えていこうと、気持ちが大きく変わりました」

自身で見て体験し伝える能登デスクさんのエネルギーの源は、やはり能登の人々と言えるだろう。

—GUIDE—
能登の生きた最新情報を発信する「能登デスク」
「能登デスク」とは、一般社団法人能登半島広域観光協会が運営する能登観光案内の広報部署。「能登デスク」には中山さんほか、3人のスタッフが所属する。中でも「能登デスクさん」の愛称で知られる中山さんの知名度は高く、会いに来る観光客も多いのだそう。実際、能登デスクとしてインスタやFacebookなどSNSに情報を次々とアップ、その働きぶりが日々報告される。
さらに、2024年11月から丸一観光とタッグを組みバスツアーを企画。昨年8月に行われたインフラ復興の様子を視察する「能登半島絶景海道・進化する“道”体験バスツアー」は好評を博した。今後は体験型・滞在型の企画も提供していく意向だ。

DATE
能登デスク 金沢駅観光案内所内(JR金沢駅構内)
営業時間:9:00〜15:00/年中無休
☎076-232-6200
Instagram:@notodesk_official
Facebook:https://www.facebook.com/nototourism/

\ INFORMATION /
石川県全体の観光向け情報を発信する 石川県観光連盟の継続的取り組み
令和6年能登半島地震および奥能登豪雨の被害と教訓を次世代へ伝えるため、石川県観光連盟と能登地域の自治体は「能登復興の旅プログラム集」を作成。プログラムは「自然の驚異」「防災・減災」「復興への取り組み」の3つのカテゴリーに分かれており、2027年度からの修学旅行受け入れを目指して整備が進む。一方で、すでに企業研修などを対象に受け入れを開始したプログラムもあり、和倉温泉街やのと鉄道などにおいて、現地での学びを深める内容が動き出している。また、石川県観光連盟では、旅行会社や学校関係者を対象としたモニターツアーも実施し、ツアー造成に向けた環境づくりを進めている。
さらに、石川県観光公式サイト「ほっと石川旅ねっと」では、能登の現状と特集記事をまとめた「今行ける能登」特設ページにて、デジタルマップを活用して現地施設の最新情報を発信。現地取材にもとづく記事も順次公開されており、のとじま水族館の復旧状況を伝えるレポート、電車で巡る“今行ける能登”の旅提案、現地で復興に取り組む人々を紹介する特集記事など、幅広いテーマで“今の能登”の姿を届けている。復興の歩みを旅から支えるため、こうした情報発信を今後も継続していく。

2025年8月の教育関係者向けモニターツアー (写真提供:石川県観光連盟)

石川県観光公式サイト「ほっと石川旅ねっと」
https://www.hot-ishikawa.jp/

photograph by 志賀真人 text by 編集部

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