2024年1月1日。能登半島にてマグニチュード7.6の大地震が発生。当時、輪島市と志賀町で最大「震度7」を記録したほか、能登半島北部の広い範囲で震度6弱〜6強の強い揺れが観測されました。インタビューを行った11月13日時点で、災害関連死を含めて亡くなった方は約440人。さらに道路やライフラインの復旧、倒壊家屋の解体などが進んでいた矢先の9月21日、奥能登地域が豪雨に見舞われました。そんな中、復興に向けて陣頭指揮をとる馳浩県知事に、能登の現状と復興支援に何が求められているかをうかがいました。
能登半島地震の教訓を生かし
日本の未来へつなぐ役割を担う
未来のまちづくりの相談に乗っていく役割を行政として果たす
高校国語科教諭、レスリングのオリンピック選手、プロレスラーと異色の経歴を持つ、馳浩(はせひろし)石川県知事。今もなお"生涯現役"と体を鍛えているそう。まさに戦う政治家として、1995年に参議院議員に初当選してから27年の間に成立させた議員立法は37本、歴代1位を誇ります。
そんな馳知事が石川県の新時代を切り開こうと、2022年3月に石川県知事選挙に立候補し初当選。文部科学大臣・教育再生担当大臣、自民党政調会長代理を歴任してきた経験を生かし、国政と県政の連携を図るトップリーダーとしての役割を担ってきました。
ところが昨年、能登半島地震が発生。まずはこの未曽有の被害を把握し、1日も早い復旧復興をしていかなければならない状況に追い込まれました。「被災したにもかかわらずボランティア活動をしたり、事業の再建に向けて頑張っていらっしゃる方はたくさんいます。そういう方々に希望を示していくのが行政の役割」と語る馳知事は避難所、行政、企業などそれぞれの立場の声を聞き、国と連携して数次にわたり予算を措置。
「道路、上下水道、電気、通信、港湾、農地など数千カ所に及ぶ被害の状況を見る限り、通常の行政体制では、復旧・復興の絵を描いていくことは到底できません。技術系職員も少ないだけに、全国から数万人の市町の職員、関係団体の方に入っていただき、応援してもらっています」
ただ、9月に発生した奥能登豪雨のため、いまだ断水、停電している箇所もあります。大規模な土砂崩れが発生し、家屋が倒壊。危険地域の方々は、家屋に損傷はなくともいまだ避難生活を余儀なくされています。
「現時点で約500人の方々が避難所で暮らし、仮設住宅約6600戸に約1万2000人、民間賃貸アパート約3400戸に約7800人。域外で生活される方もいらっしゃるので、その方々の居場所を把握し生活支援をしていく、プッシュ型相談支援をしていくことが肝要だと思います。さらに医療、福祉、介護などのサービスも途絶えることのないよう責任を持つのが私たちの仕事です」
いまだ緊急事態は継続中。そんな状況下、馳知事が一番恐れているのは「能登半島地震も奥能登豪雨も既に終わったこと、記憶のかなたに忘れ去られているのではないか」ということ。
「したがって、私ども県行政は市町の現場、国と連携し、国と市町をつなぐ調整役として今どこに課題があるのかを確認、アップデートしていく。常に生活が良くなるような体制づくり、インフラ復旧、そして未来のまちづくりの相談に乗っていく役割を果たしています」
官民連携の復興を進め伴走型支援を続けていく
行政ほか民間企業、ボランティアの活動もメディアで紹介されるなど、復興については官民連携も重要なポイントといえるでしょう。
「象徴的なのは、のと里山空港内に10月21日に開所した一般社団法人能登官民連携復興センターですね。行政だけでなく産業界、経済界、高等教育機関、金融機関など、産学官金の連携を図っていきます。地域のきめ細かなニーズへの対応は主にNPO法人が中心となり、私ども官がサポートしていきます」
NPO団体は小回りが利くうえ、機動力があります。一方、行政は全体を把握できる。ただ、一人一人にプッシュ型支援をするには人手が足りなさすぎます。逆に、NPOは一人一人のフォローはできますが、限界があります。「お互いの強みと弱みを補完し合うべく情報を共有し、誰がどこで活動しているかを把握すれば、どこで誰がどういう支援を待っているのかが浮き彫りになります。そういったところを協力、応援していければ」と、馳知事は続けます。

実際、NPO団体には専門性の高い人材がたくさんいます。例えば、今村久美(いまむらくみ)さんが代表を務めるNPO法人カタリバは大人だけでなく、高齢者、子どもまで、声なき声を拾い集める活動を実施。能登半島地震復旧・復興アドバイザリーボード会議の地域ワーキンググループが開催する「のと未来トーク」の運営事務局も務めています。
「こうしたかゆい所に手が届く活動は行政にはなかなかできないですから。人員が少ない行政は被害箇所の確認、被害認定、不服審査の判定だけで手いっぱい。現在、地震で全壊半壊したことで、約3万2000棟もの住家を解体撤去しなければならない見込みです。解体撤去後、仮置き場に集めた廃棄物を埋め立てやリサイクルなどに利用するなど最終的な処分を行います。このミッションのために5000人以上の作業員が入っていますが、いろんな課題が発生します」
能登半島地震と奥能登豪雨、間を置かずして起きた二重災害はその筆頭といえます。
「もはや多重災害ですが、そのことを踏まえたたゆむことのない支援、いつまでに何ができるのかの見通しを示してあげれば計画は立てられますが、工程通りにいかないこともあるでしょう」
毎週のように情報を確認し合いながら官の仕事を進めていくと同時に、故郷を元に戻す仕事は民と連携していきたい、と馳知事は強調します。また、事業者向けには事業の存続、新たな事業展開に向けて、仮店舗での営業支援や、県の信用保証協会などと連携して低利息の返済システムを作るなどして対応。
「事業者にも大中小とありますから、それぞれ身の丈に合った支援、そのために必要な相談体制を組んでいます。商工会議所や金融機関などに所属する経営のプロ、中小企業診断士を派遣するほか、石川県産業創出支援機構という、県の商工労働部の実働部隊が寄り添って支援していく回数無制限の相談支援事業―待つのではなく、こちらから出かけてプッシュしていく伴走型支援をしていきます」
歴史的な災害から復興を遂げる 能登モデルの記録を世界に発信
さらに馳知事は「今回、能登半島で起きたことは、わが国の歴史的に見ても顕著な特筆すべき事態。地震、津波、豪雨災害など複合災害が起きたときにどう対応するかといった能登モデル、ひな型ができると思います。今後、どのように復旧復興を成し遂げていくのか。新しい技術、新しい考え方で飛躍的に良くなるであろう復興の記録を、きっちりとどめておく必要があると思います」と発言。国内だけでなく海外においても、未曽有の災害にどう対応したかを示すことは石川県知事の重要な役割といえます。
「具体的に、能登で何が起こったのか、何を思ったのか、どう立ち直ったのか、官民の連携はどうだったのかを話す語り部、実際に被災地を運行する語り部列車などを観光の目玉として、あるいは教育プログラムとして今後の修学旅行などを誘致していこうと考えています」
では現在、どういった復興支援が能登では行われているのでしょうか。
「怒りの持って行き場のない人たちのフラストレーションは相当なものです。私の携帯にまで電話がかかってきます。大事に築き上げてきた家も田畑も店も会社もダメになる。過去の大災害に比べても補助率は高く、遜色のない支援ができていますが、そんな問題ではない。そもそも自分の責任でない中、自然災害に巻き込まれた方々がやるせない思いを持つのは当然のこと。そこを自分なりに消化し、前向きな気持ちになっていただくことが大事です」
そのプロセスの中で行政がサポートできることはできるだけサポートしたいと、馳知事は日本遺産第1号として2015年に選出された江戸時代から続く灯篭神事「能登のキリコ祭り」を復活しようと号令をかけたのだそう。
「祭りがあれば能登をやむを得ず離れた人も戻ってくる、そんな土地柄なんです。祭りで生きている意味、存在意義を確認すると同時に、祭りの準備をしているうちに活気が戻ります」
フィールドワークで被災地の現状の把握、自然環境の存続を調べていた東京大学の学生や、復旧作業に来ている土木関係事業者も参加。例年とは異なり観光客を呼ばなかったにもかかわらず、熱狂的な祭りが展開されたといいます。「大小200以上のキリコ祭りがありますが、その3割弱ぐらいは復活しました。時間がたてばもっと復活していくでしょう」
その後、整備された土地を活用して新たなまちづくりをしていこうと、市町が計画、県も協力を惜しまないとの姿勢で、期待が膨らみます。
「もちろん以前とは違った強靭なインフラも必要だと思います。被災者データベースの構築、ドローンを活用した物資・薬の配布、航空写真から傷んでいる道路をチェックするなど、新たな技術やデジタルを活用して、安心して住みやすい環境づくり、豊かな自然環境の保全・活用を併せて行っていくことが使命だと思います」
さらに、馳知事は「全国の皆さまには買って応援、行って応援、泊まって応援、食べて飲んで応援と、当たり前の経済活動ができる環境づくりにご協力いただきたい」と、旅行に来てもらえる仕組みも計画中だと明かしてくれました。

馳浩知事のメッセージはこちらから!

馳 浩 はせ・ひろし 1961年生まれ。富山県小矢部市に生まれ、小学校3年生より石川県金沢市在住。星稜高校国語科教諭、オリンピック選手(レスリング)、プロレスラーを経て、参議院議員・衆議院議員など国会議員在職27年。第16代文部科学大臣・自民党政調会長筆頭代理などを歴任。2022年に石川県知事選挙に立候補、初当選し今に至る。
