「令和6年能登半島地震」から1年。
9月に起きた能登豪雨災害の影響もあり、
ますます復興への道のりが険しいものになっているとの報道も目にする。
そんな状況下、改めてわたしたちに何ができるのか、
今、何が求められているのかを知りたいと、11月中旬、再び能登を訪れた。
そこで出会った多くの復興を支える人たち、
過去のにぎわいを取り戻そうと奮闘する人たちに、その想いを聞いた。


被災地の最前線に立ち
災害の知識を更新し社会に届ける

加藤 愛梨
災害リスクコミュニケーター
株式会社Mutubi代表取締役

加藤 愛梨 かとう・あいり
かとう・あいり 神奈川県出身。慶應義塾大学環境情報学部卒業後、東京大学大学院総合文化研究科修士課程に進む。事業継続(BCP/BCM)国際資格保有。災害に強く持続可能性のあるまちづくりを企画・監修しグッドデザイン賞2023などを受賞。2024年5月、株式会社Mutubiを設立。

メディアが伝えない被災現場へ

「災害リスクコミュニケーター」とは加藤愛梨(かとうあいり)さんが編み出した肩書き。災害予防の啓発やコンサルティング、防災商品やサービスの企画や開発などさまざまな取り組みを行っていると言います。

「科学の世界は実験で検証を重ねれば答えが出ますが、災害は実験できない。いろんな経験を積み重ねて発展していく世界なので、分かりづらい部分が多々あります。そこで被災地の最前線に立ち、日々アップデートされる防災や災害の知識をしっかりつかみ取り、社会に届けるコミュニケーターとして自身を位置付けています」と、説明してくれました。

特に注力するのはメディア事業。各地のクリエイターとパートナーシップを結び、被災者の視点から描いた映像を制作・発信しています。「メディアが目を向けるのは話題性のある地域、報道しやすい人たちばかり。逆にわたしたちはメディアの光が当たらないところに取材に行き、個々のストーリーを伝えることをモットーにしています」

結果、この人を助けたいといった情動がわき起こるコンテンツを作りたいと、「被災地と未災地を良くするメディア」=MuTube映像としてアップしています。「見て知って終わりだけでなく、次の具体的な行動につながることが目的」と、例えば輪島市町野町(まちのまち)唯一のもとやスーパーに密着、震災から豪雨災害までをまとめた動画は多くの反響を呼び、ある大手販売店が支援を始め、営業再開の後押しとなったといいます。

加藤愛梨さん インタビュー中の様子

「睦助」を創出し再生へ

災害支援は「自助、共助、公助」の三原則といわれています。ただ、今回の能登半島地震に関していえば、公助はニーズに対して圧倒的に足りていません。加えて「自分のことは自分で守る、近隣同士で助け合うよう備えてきましたが、時間がたち復旧復興というフェーズに入ったとき、これまでの助け合いは成立しない。能登は半島なので、いろんなことが地元で完結する風土があります。

だから1人が再起できずにいるとみんなが共倒れする」と加藤さんは指摘。「生産者が事業再開を図ろうとしても、仕入先から原料が調達できなければ事業を継続できない。そう考えると自助、共助、公助だけで地域を再生するのは難しいと気づきました」

かといって、越境して地域外に助けを求めたところで、長くは続きません。能登で今一番求められるのは「継続的に寄り添い続けること」と、加藤さんは断言します。

「一方的な支援はもうやめるべき。与え続けるだけじゃなく与えられもする、新しい助け合いの形を作っていきたい。相互的(Mutual)でサステナブルな交流を意味する『睦助』を再定義したいというのが今の目標です」

能登と外部を結び付け、新たな「睦助」を創出し復興できればと、加藤さんは昨年5月にMutualと「睦び」を合成した会社Mutubiを設立。能登に寄り添う加藤さんの決意表明といえるでしょう。

「メディア事業を形にしたのはほんの第一歩。MuTubeを見て能登の現状を知った方がどう関わってくれるかを構築していくのが次のステップだと思っています」

現在、さまざまな領域の有識者と打ち合わせし20人を選定、能登に招待しビジネスを構築する支援をスタート。さらに全国の災害を伝える語り部さんのプロダクションを作る野望もあるそう。加藤さんによる新たなプロジェクトが続々と始まろうとしています。

能動的な立ち位置としてメディアを位置付け、5分前後に編集した動画を日々ブラッシュアップしながらYouTubeにアップ https://mutube.jp/

伝統工芸をどう守り抜くか
創業200年の九谷焼商家が考える

鏑木 基由
鏑木商舗八代当主、石川県九谷陶磁器商
工業協同組合連合会理事長

かぶらき・もとよし
かぶらき・もとよし 1805年創業、九谷焼初の商家鏑木商舗の八代当主(株式会社鏑木代表取締役)。明治初期から輸出を手掛け、各国の万国博覧会、展示会へ出展するなど、国内外に向けて積極的に鏑木ブランド製品を紹介する。ワインにも造詣が深く、2016年、名誉ソムリエに就任。同年、経済産業大臣賞受賞。

歴史を失った被害は「はかり知れない」

「本当の被害っていうのは何なのか。例えば陶器を作るために何十年も使ってきた型だったり、それを作る職人がいないものが壊れてしまったら、いくらお金をもらったって再現できないんですよ。地震の影響で言えば金沢もそうですが、特に輪島のほうは地震の後に残っていたものも最後に雨で全部流されてしまった。もう何も考えられない状況なんですね」

9月に発生した集中豪雨により、再び被災した輪島地方。鏑木商舗と取引のある輪島塗のお店も、例外ではなかったと鏑木基由(かぶらきもとよし)代表。

「震災直後、取引のあった輪島塗店の何軒かに電話したら箸は結構残っているって言うので、すぐに知り合いの大手企業数社に電話をしました。箸が1万本くらいあるんだけど何とかならないかって。そうしたら多くの方が動いて買ってくれて、あっと言う間に足りなくなった。一体どれぐらい売っただろうって頃に、東京の百貨店から催事の依頼があったんです。そこでも九谷焼と輪島塗を並べて置いたところ、どちらもたくさんの方がご購入くださいました」

願いを乗せた折り鶴プロジェクト

鏑木商舗では自社のホームページでも「かぶらきでしか買えない(石川県伝統工芸応援プロジェクト)」というオンラインショップを立ち上げ、珠洲焼・九谷焼・輪島塗の作家・職人を応援すべく、彼らから集めた商品を販売しています。

絵付けの様子
未経験者やブランクのある方でも先輩職人が丁寧に指導、デザイナーの育成にも力を入れている

「次に僕が手掛けているのが『折り鶴プロジェクト』。早く復興しますようにと、折り鶴で願いを込めて。輪島・九谷(くたに)・山中(やまなか)で、折り鶴の絵ばっかり描いた品物を作っているんですよ。今回の地震や豪雨で仕事がなくなってしまった絵描き(作家)がたくさんいるんですね。そこで折り鶴の絵ならみんな描けるし、願い事のようになると始めました」

早く復興しますようにと願いを込めて折り鶴が描かれた作品
早く復興しますようにと願いを込めて折り鶴が描かれた作品
長町の武家屋敷にある金沢九谷ミュウジアム。茶室・庭を臨む食事スペースもあり、ゆったりとした空間で九谷焼を堪能、購入することができる。
長町の武家屋敷にある金沢九谷ミュウジアム。茶室・庭を臨む食事スペースもあり、ゆったりとした空間で九谷焼を堪能、購入することができる。

本当の「復興」とは何か

「"支援のあり方"というものをしっかりと考えなければ、復興はできないと思う。僕はうちに来る職人さんたちには、経営にもタッチしなさいと言っています。取り分も考えて、自分たちで上代も設定しなさいって。本当に困っているのは何かということを、きっちり声を上げて、それを真横で見ている人たちもちゃんと聞いて意思表示しないといけない、かっこよく人助けするだけじゃなくて。ちゃんとみんなを引っ張り上げているかどうか、自分だけもうけていないか、そういうことを考えていかなければダメだと思う」

作家・職人・商家、伝統工芸に携わるすべての人が生計を立てられるようにすること、それが本当の意味での復興だと話す鏑木代表。「オンラインショップ『かぶらきでしか買えない』では、ネクストKという会社を立ち上げています。次の工芸(KOUGEI)、次の金沢(KANAZAWA)、次の国(KUNI)、次の鏑木(KABURAKI)、皆で頑張ってもらえればいいなという想いで作った会社です。職人たちは個人事業主だからね。会社に勤めている人と個人事業主の人では、年金も全然違う。ネクストKの中で、仕事量や給与も自分たちで設定してもらい、伝統工芸を職業として存続できる仕組みを作っていかなければなと思っています」

小さな希望になれたら…
若い仲間が集まり銭湯を無料開放

新谷 健太
海浜あみだ湯 運営責任者
NPO法人ガクソー寺小屋美術部

しんや・けんた
しんや・けんた 北海道出身。金沢美術工芸大学卒。2017年に地域おこし協力隊員として珠洲市に移住し、ゲストハウス、飲食店などを運営。22年に移住者の同志達とNPO法人ガクソーを設立し、同団体の有志メンバーであみだ湯の経営を実質的に引き継いでいる。新谷家のルーツが輪島市黒島地区にあったことが最近判明したという。

珠洲市に魅せられての移住

能登半島の突端に位置する珠洲(すず)市。その特異な土地が醸成した文化や風土に育まれた人々の豊かさに心惹かれ、移住を決めた新谷健太(しんやけんた)さん。ゲストハウスや飲食店を運営しながら地域活性化を推進するまちづくりや、未来を担う子どもたちの教育支援をしていこうとNPO法人を立ち上げ、仲間たちと寺小屋スタイルで学べる環境を提供してきたと、振り返ります。それが地震と津波により町の景色が一変。自宅もゲストハウスも事務所も全壊、ほぼすべてを失ったショックは計り知れません。

「ここで生まれ育ち、何世代にもわたって文化をつないできた人たちはもっと深い絶望があるだろう。心惹かれた町と人々のために何かできないかと、唯一と言っていいほど無事だったあみだ湯を再開しようと仲間達と動き始めました」

そもそも高齢となった経営者から私達に事業を継いでほしいと相談を持ち掛けられ、何とか目途がつきそうなタイミングでの被災でした。

「自分を含む仲間達が身体的被害を受けなかったことが1番で、天井の一部が落ち配管も折れていましたが、井戸水を使えば何とかなりそうだったこと、付き合いがあった人や面倒を見ていた高校生が手伝ってくれることもあり、週3日であれば2~3人で回せそうだと1月19日に再開しました」

最高620人、平均400人が利用するにぎわいを見せ、脱衣場・ロビーには人がぎっしり。駐車場もパンパンと、交通整理もままならない状況の上、余震も多く地震や津波が再び来る可能性もあると言われ、どう避難誘導すればいいのか常にヒヤヒヤのオペレーションだったと苦労話は尽きません。

「支援者の入浴日を設けるなど、日々変わる状況の中やってきました。あと支援物資が届かない問題も浮上し、あみだ湯がハブになってここに来れば何とかなると物資を整理し配ったり、社会福祉協議会に来てもらい再建相談会を実施するなど、情報交換の場にもなりました」

復興に向けて活動する皆さんと、あみだ湯に寝泊まりしながら生活する新谷さん。町を見回っている途中に保護したという犬も新谷さんの側から離れず同席
復興に向けて活動する皆さんと、あみだ湯に寝泊まりしながら生活する新谷さん。町を見回っている途中に保護したという犬も新谷さんの側から離れず同席

住民と励まし合う復興の道のり

さらには避難所生活が長くなりストレスや衛生環境の問題から体調を崩すなど、災害関連死の割合が3カ月間で40~50%上がることから、二次避難のコーディネートをする仕事にも携わるように。

「実は美大を受験した当日は東日本大震災が起きた日で。そんな中、絵を描いて受験する自分の無力感にさいなまれ、以後、有事の際のケアをテーマに研究しながらアート活動を行ってきました」

だからこそ防災意識が高く、災害時にどう動けばいいか、コミュニティの大切さを実感している新谷さんの経験が現場で生かされたのは想像に難くありません。

その後、珠洲市は豪雨に見舞われ、井戸水が汲み上げられなくなってしまったのは9月のこと。

「1回休むしかないと思ったんですが、市内の状況を聞くとすさまじいことになっている。地震に次ぐ水害で皆さん落ち込んでしまっているのを見て、諦めずにやるしかないと、強引に上水道にホースをつなぎ、翌日からシャワーだけでもと営業を続けました。井戸も残ったポンプをつなぎ直し、1週間後に浴場を復活させました」

そういった活動が注目され、メディアに広く紹介されたことからボランティアが一気に増えたことも奏功。あみだ湯で寝泊まりできる10人を引き受け、これまで手が届かなかったニーズを拾い、各家庭を励ましに行く活動もできるようになったそう。

「メディアに取り上げていただくことは励みになりますし、住民の方から本当に助かっているとお声がけいただいたり、安らいでくださっているのを見るとやりがいにつながる。この場所を守っていくことが、これから長い道のりの中でも大切なんだと思います」

住民の憩いの場、励まし合える場になっている海浜あみだ湯
住民の憩いの場、励まし合える場になっている海浜あみだ湯

お客さまに愛されるまちの本屋さん
親子で再開した「変わらない場所」

八木 淳成
いろは書店三代目店主

やぎ・あつなり
やぎ・あつなり 1949年に創業した、いろは書店三代目店主。結婚後、栃木県に家族と住んでいたが、6年前に珠洲市に戻り、書店を手伝うように。DIYが得意な淳成さんが手作りした本棚、手描きの外壁アートに加え、軽快なおしゃべりが毎日お客さまを楽しませている。

本店舗は倒壊したが、仮店舗で再開

珠洲市飯田町(いいだまち)にある「いろは書店」は震災で全壊、1階部分が潰れてしまいました。75年続く店は年中無休で、震災のあった日も開店していました。幸い来店客も従業員も無事でしたが、1階は出入りができなくなり、たくさんの本が埋もれてしまいました。

震災翌朝のこと。「親父がメモ帳になんか設計図を描き始めて。『次の店舗の設計図だから』って渡されました」と話すのは、店主の八木久(やぎひさし)さんと一緒に書店を切り盛りする長男の淳成(あつなり)さん。以前から紹介されていた空きテナントを借り、3月21日に仮店舗をオープンさせました。

二代目店主、父の久さんと八木さん
二代目店主、父の久さんと。手作りされた店内から2人の愛情が伝わってくる

「この建物は2年前から空いていて、ずっと気にはなっていました。何かここでやりたいなって思っていたものの、なかなか踏ん切りがつかなくて。だからこれも縁ですね。今回のきっかけで、仮店舗にするならここだなって。いいタイミングでした」

取材中も店内にはなじみのお客さんが出入りし、淳成さんをはじめとする従業員の皆さんが温かく声を掛けて出迎えます。「新店舗は新店舗でやるんですが、僕はここを劇場にしたいんです。何でもできるショー劇場。寄席とか芝居でもいいし、映画だったら版権切れの無声映画を無料で上映し、コーヒーとかお酒が飲めるような場所にして。こちらで企画もしますが、オファーがあれば対応もします。実は明後日もピアノコンサートをするんですよ。店の奥にピアノがあって、演奏時は店内に椅子を並べて客席にします」

タクシー会社の事務所だったという仮店舗
タクシー会社の事務所だったという仮店舗。「作りながら途中で飽きちゃったところもあるんですけどね」と言いながら、外壁の隅々まで手の込んだイラストと仕掛けも楽しい店頭。向かって右側の赤い電話ボックス扉は……何とトイレの入り口!

1つひとつの瞬間を大切に

店内の本棚はインテリアデザイナー志望だった淳成さんの手作り。建物の入り口や外壁にも、淳成さんによる遊び心いっぱいの絵がたくさん描かれており、3月21日のオープンに合わせて、一生懸命用意したと言います。
「3月21日は高校の学校説明会の日で教科書の引き渡し初日。その日に合わせて営業してくれって学校側から依頼され、『ウソー!』って言っちゃいましたけど(笑)」

震災後、一番変わったところは?という問いに対し、淳成さんは「1つひとつの瞬間瞬間を大切にするようになりました。あの人と会えることが特別なんだってこととか。水が出ることも、電気がつくことも、道が真っ直ぐなことも特別。何もかもが特別。それって本当にすごい。こんなことが当たり前のように用意され生活できていることが本当にありがたく、大切にしなきゃなと思います」

店内の壁に大きく飾られた額に収められた数々の写真やイラストは、その大切な瞬間を彩った1枚だと言います。
「珠洲市といろは書店に関わっている作品、関係した作品の作家さんたちにそれぞれ寄贈していただきました。本当は2024年1月に行うはずだった除幕式ですが、お店が全壊したからできなくなって。1月は東京の山陽堂(東京都港区)さんでやらせてもらいました。その後、これを除幕するのは能登で、いろは書店でやろうと、10月にここで行いました」

そのときに集まった作家さんたちが描いてくれた直筆のイラストが額の内外、店内の壁に描かれ、久さん、淳成さん親子と一緒に、いろは書店を訪れる人たちを和ませてくれています。

能登を愛する編集長が伝える
震災の記録

経塚 幸夫
地産地消文化情報誌『能登』編集長

つねづか・ゆきお
つねづか・ゆきお 石川県金沢市生まれ。妻の実家である寺を継ぐため、北國新聞社を退社。輪島市門前町鹿磯に移り住み、住職のかたわら地産地消文化情報誌『能登』を創刊、地域の情報を伝えてきた。自身も被災しながら、震災の記録を綴った55号は大きな反響を呼んだ。

能登にいたから伝えられることがあると思った

金沢で生まれ育ち北國新聞社で記者職など30年余勤務、能登に移り住み地域の情報を発信してきた経塚幸夫(つねづかゆきお)さん。1月中旬に発刊予定だった54号は、印刷直前で休刊を決めたと言います。その後5月下旬に発行した55号では能登半島地震を特集、その反響は大きく多数のメディアで取り上げられました。経塚さんのもとには、励ましのメールや電話、定期購読の問い合わせが多数寄せられ、県外の書店でも取り扱われるほど。

55号制作のきっかけをうかがうと、「取材対象が被災し、いつ復旧するか分からない。1~2年休まなきゃならないかなと思っていた折、広告主がこんなときだからこそ『能登』があって良かったねとおっしゃって。何かを発揮するときかなと漠然と思いました。もう一つ、輪島市門前町鹿磯(わじましもんぜんまちかいそ)にある家の前の海が4m隆起したんです。それを見ていて、歴史的な出来事に遭遇したなと。まずは記録にとどめることが必要だなと思いました」

ただ季刊なので取材しても発行できるのは1〜2カ月後。どんなものを作るか悩んだと言います。「外注のライターやカメラマンには体験リポートをお願いしたけど、その他は白紙。取り上げたいネタが出てきても数日には状況が変わる。いろいろ考えた末、能登半島地震がどんな地震だったかを伝えることにし、何人かの専門家のところにも取材に行きました」

能登半島を写した航空写真と『世界一美しい半島へ。』というキャッチコピーが掲載された、表紙デザインにも目を奪われます。

「地震の写真ではなく、少しでも希望が持てるものにしたかった」忘れてはならない震災の記録と未来への希望が描かれた雑誌『能登』。地域情報誌の枠を越え、その読者は全国に広がっています。

『能登』55号(2024年5月発刊)
『能登』55号(2024年5月発刊)には記録と希望が詰まっている

がんばろう! 出張「輪島朝市」
売る場所が変わっても輪島の魂は消えない

ワイプラザ輪島店のコンコースに並ぶ出張輪島朝市の露店。「今日は電球を忘れてきちゃって。ちょっと暗くてごめんね」。テントの上を指しながら、優しく声を掛けてくれたのは遠島商店の遠島孝子さん。貝やアワビなどの海産物を販売している
ワイプラザ輪島店のコンコースに並ぶ出張輪島朝市の露店。「今日は電球を忘れてきちゃって。ちょっと暗くてごめんね」。テントの上を指しながら、優しく声を掛けてくれたのは遠島商店の遠島孝子さん。貝やアワビなどの海産物を販売している

輪島朝市通り(輪島市河井町(かわいまち))は震災後の火災によりほぼ消失。「千年以上続く輪島朝市を自分たちの代で終わらせるわけにいかない」と立ち上がった輪島市朝市組合員さんたちにより、輪島市内の商業施設ワイプラザ輪島店では、「出張輪島朝市」が常設されています。

11月のカニ漁解禁と共に漁に出始める漁師さんも増え、輪島産海産物も並び始めます。地元の野菜や花などの農産物や、伝統工芸品である珠洲焼や輪島塗のお店も出店し、活気を取り戻しつつあります。

珠洲焼や輪島塗の作家さん・職人さんたちも徐々に製作を再開。1点ものも多い伝統工芸品の数々を実際に手に取って選べるのも朝市の魅力の1つ
珠洲焼や輪島塗の作家さん・職人さんたちも徐々に製作を再開。1点ものも多い伝統工芸品の数々を実際に手に取って選べるのも朝市の魅力の1つ

また、輪島市朝市組合は全国各地にも出張しています。地震、集中豪雨と二度にわたる大規模災害により、どう立ち上がればいいか分からなくなったと話す組合員さんもいました。それでも応援してくれる方々がいるのでこうして出店することができているのだと。

輪島朝市通りを復興し、必ずかつての地で再開させるという強い想いを胸に、各地で出店する組合員さんたち。朝市という伝統文化を絶やしてはなりません。離れた地に住む私たちも商品を購入することで支援に関わることができます。

東京都内でのイベント出店の様子。「がんばろう!輪島朝市」と書かれたオレンジ色ののぼりとスタッフジャンパーが目印
東京都内でのイベント出店の様子。「がんばろう!輪島朝市」と書かれたオレンジ色ののぼりとスタッフジャンパーが目印

観光で能登半島の復興を支援する
石川県の取り組み

公益社団法人 石川県観光連盟

副理事兼専務理事の竹内政則氏
愛らしい観光PRマスコット「ひゃくまんさん」と共に、観光施策を説明いただいた副理事兼専務理事の竹内政則氏

震災1カ月後の2月から、石川県では観光サイト「ほっと石川旅ねっと」を活用し、能登の現状や観光客が訪問可能な施設の情報を定期的に発信。仕掛け人である石川県観光連盟にその取り組みをうかがいました。


北陸新幹線開業効果で復興を後押し

馳浩県知事の号令の下、「買って応援、行って応援、泊まって応援、飲んで食べて応援」してもらう仕組みづくりを観光面からサポートする石川県観光連盟。「もともと官公庁が認定した地域連携DMO(観光地域づくり法人)の役割を担い、これまで地域全体の観光産業を活性化させてきました。当社は半官半民の法人なので、北陸3県など広域連携で取り組まなければならない。さらに国、県、市町と連携して復旧復興にどう取り組んでいくかが肝要」と、竹内政則(たけうちまさのり)副理事長は続けます。

周知のとおり北陸新幹線が2024年3月、金沢から敦賀まで延伸し開業。北陸3県がつながることで観光周遊エリアが広がり、さらなる効果が期待されていました。「ところが元日に地震が発生。いろんな準備をしているのに今さら止めるわけにいかない。むしろ能登のために活性化させて応援消費を促そうと、開業を迎えました」

具体的には、北陸応援割「いしかわ応援旅行割」を3度にわたって実施したほか、JRや大手旅行会社と連携した誘客キャンペーンなど切れ目ない展開で後押し。北陸3県と観光連盟が共同で、北陸への誘客を通じて能登を応援する仕組みに取り組みました。

年間を通じた誘客キャンペーン

復興支援と能登の魅力を発信

とはいえ地震による被害は甚大で、能登観光の核となる和倉温泉の復興もかなり時間がかかる見込みだと言います。「比較的早く再開した施設も現在は、応援事業者が利用しています。ボランティアを受け入れつつ、復旧状況を踏まえた観光支援策として、応援割の導入に向けた準備を進めています」

復興の状況をPRするのが観光連盟の役目だと話す竹内副理事長が懸念するのは「忘れ去られること」。「メディアの露出が減っていると聞いていますが、今でも応援が必要だし、復興のために頑張っている人がいることを全国に知らしめたい。理解いただいた上で、できる範囲の支援をお願いしたい。復興の暁に観光に来ていただきたい想いからも、今、来られるところには来て応援してほしいという情報を発信しています

そこで石川県観光サイト「ほっと石川旅ねっと」では、「今行ける能登」と称して能登の情報発信を行っています。12月に公開されたデジタルマップでは、能登の観光地や営業している施設が確認でき、観光施設がデジタルマップに統合されているため、目的地を視覚的に把握できます。また、イベントや祭り情報の掲載をはじめ、能登で活躍する人々や復興ツアーを取材し、紹介しています。さらに、インスタグラムを活用し、能登の風景や魅力を効果的に発信しています。

石川県観光サイト「ほっと石川旅ねっと」では、「今行ける能登」のデジタルマップで観光地や施設情報を提供。イベントや祭り情報の掲載をはじめ、能登で活躍する人々や復興ツアーを取材して紹介 https://www.hot-ishikawa.jp/index.html
石川県観光サイト「ほっと石川旅ねっと」では、「今行ける能登」のデジタルマップで観光地や施設情報を提供。イベントや祭り情報の掲載をはじめ、能登で活躍する人々や復興ツアーを取材して紹介 https://www.hot-ishikawa.jp/index.html

また、いしかわ文化観光コンテンツ造成支援事業として総額100億円の「いしかわ文化観光推進ファンド」を活用し、文化の担い手と観光事業者連携による文化観光コンテンツを県内各地で創出。加えて、復興を見据えた教育の誘致活動に活用しようと、震災学習プログラムに着手、27年度からの修学旅行受け入れを目指します。

また、石川県観光ブランドプロデューサーの松任谷由実(まつとうやゆみ)さんと写真家の佐藤健寿(さとうけんじ)さんが「能登復興写真展」を東京・金沢・大阪で開催するなど、全方位の展開が能登への関心を高めています。

松任谷由実さんが被災地を訪れ、「この光景を忘れてはいけない」と、佐藤健寿さん、石川県に協力を依頼したことからプロジェクトが発足。東京・金沢・大阪で写真展を開催。
松任谷由実さんが被災地を訪れ、「この光景を忘れてはいけない」と、佐藤健寿さん、石川県に協力を依頼したことからプロジェクトが発足。東京・金沢・大阪で写真展を開催。
首都圏の石川県アンテナショップ「八重洲いしかわテラス」は昨年3月移転オープン
首都圏の石川県アンテナショップ「八重洲いしかわテラス」は昨年3月移転オープン
2024年12月時点の取材による内容です。

photograph by 平岩享、橋本亨祐(朝市)

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