全国有数の漆器産地・木曽平沢(長野県塩尻市)で、蒔絵師として活躍する手塚希望さん。
工房を訪ね、伝統工芸への思いをうかがった。
蒔絵との出会いから10年
学生時代を東京で過ごし、就職活動をしていたという希望さん。「就職活動はしていたものの、企業に勤めて仕事をする自分の姿が想像できなくて。実家に戻って、初めはお店の事務作業を手伝っていました」
漆器作家であるお父さまが営むちきりや手塚万右衛門(てづかまんうえもん)漆器店。店内には万右衛門さんの作品をはじめ、たくさんの漆器が並び、箸やまめ皿の漆塗り体験ができるワークショップなども行っている。
「実家を手伝おうと思って東京から戻ってきたわけではなかったのですが、父の店を手伝っているうちに、自分で作ったものも売れたら楽しいだろうなって思うようになって。近くにあった塩尻市木曽高等漆芸学院に通い始めました。この辺りでは有名な学院で、地元の職人さんたちが先生をしてくれるんです。そこでは塗りと蒔絵、沈金を学ぶことができ、私は蒔絵科を選択しました」
蒔絵は漆器の表面に漆で絵や模様を描き、漆が乾かないうちに金銀や色のついた粉を蒔(ま)く技法。絵や模様を描く筆の種類・サイズはさまざまだが、筆先はいずれも細く長いものが多い。
筆を握る手の小指を漆器の表面に軽く乗せ、小指で描くときの震えを止めながら縦方向にだけ筆を滑らせていく。「最初はまっすぐな線を描くだけでも大変で、週2回、6時間の授業中、初めの3週間は、ひたすら線だけを描いていました。まっすぐ描けるまでやる。

普段使わない筋肉を使うので慣れるまでは腱鞘炎(けんしょうえん)になりそうでした」と言いながら見せてくれた希望さんの右手には筆だこが。日々作品作りを続ける職人の手だ。
0.04ミリの感覚を身につけるまで
「線は練習すれば引けるようにはなるんですが、絵や模様を描く場合はその面全体の筆圧というか、漆の厚さが均一でないとムラができてしまい、粉がうまく乗らなくなってしまうんです。漆塗り1回の厚みは0.04ミリと言われるのですが、0.05ミリではもう厚い。その感覚が分かるようになるまでは結構時間が掛かりました」
学院に通っていた頃、現役の職人である先生たちが初見で0.01ミリの差を言い当てるのに驚いたというが、今では希望さんもその研ぎ澄まされた感覚の持ち主だ。

「塗って粉を蒔き終わったら湿度と温度を調整して乾かすのですが、乾かすときに漆が厚すぎると、表面と中の漆の乾くスピードに差が出てしまう。そうなると、中の方が表面に引っ張られて絵がポコポコしてしまうんです。それだけは避けたいのですが、外気温や天候にも左右されるので急に気温が上がったときなどは、いつも通りに作っても失敗してしまうこともあります」

技法もしかり、図柄も古典柄が多い蒔絵だが、希望さんは動物をモチーフに描いた作品も多く製作している。かわいらしいデザインとやさしい色使いが若い方や外国人観光客にも人気だという。実家が漆器店ということもあり、幼い頃からお父さまの作る漆器で育ってきたという希望さん。「漆器って特別な日に使うもので、手を出しにくい感じがしますよね。でも使えば使うほど硬度も増して丈夫になりますし、毎日使う食器に漆器を取り入れることで、その温かみや感触を身近に感じてもらえたらいいなと思います。日常使いでなくても、そばに置いておきたい、というような日々の生活の彩りとしても、気軽に手に取ってもらえたらうれしいです」と語ってくれた。


新しい挑戦 器を作ってみたい
希望さんは休日も試作品を作ったり、新しい技術を身につけるため漆芸学院に通っているという。「乾漆というジャンルがあるのですが、塗や絵付けとは違って器物を作るので、これはまた1から教わることになるんですけど、挑戦してみたいと思っています。漆を塗る前の木製品を作る木地師さんも今は減ってきていて、注文してもなかなか入ってこない時もあるんです。描く器がなければ蒔絵作品も作れないし、それなら器も自分で作るところからやってみようかなと思って」と新しい挑戦への意気込みも語ってくれた。
蒔絵を辞めたいと思ったことは?という編集部の問いに「うまくいかないことも楽しめる性格なので」と、にこにこ笑っていたのが印象的だった。
乾漆への挑戦や墨流しといった伝統的な技法を取り入れた作品を作る一方で、動物など親しみやすいデザインを蒔絵に取り入れ新しい発想も広げる希望さん。伝統を守りながら新しい伝統を創り出し漆文化を後世へとつないでいく、新時代の職人の姿を見た気がする。


