【連載】私のETHICS体験のサムネイルのヘッダー

娘の一番の応援団長として

青山 友美子さん

青山 友美子さん

あおやま・ゆみこ
1975年生まれ、48歳。主婦。岐阜県在住。会友歴14年。

わが家の中学2年生の長女は「学校行き渋り歴8年」の強者です。
小学校1年生の5月の連休明けから「スポーツテストがあるから行きたくない」「授業が長いから行きたくない」と渋るようになり、毎朝、長女を学校に送っていくようになりました。小学校6年生の後期からは、欠席する日が1日また1日と増えていきました。

現在、中学校では放課後に登校し、先生に顔を見せにいくのが日課となっています。夕方になると体操服に着替え、「じゃあ、行ってきまーす」と、一人で登校するのです。なんだか「娘よ、あっぱれ」という気持ちになります。小学校の修学旅行、中学校の野外学習、体育祭も参加せず、クラスの教室で授業やテストを受けたことは一度もありません。

「これだけ長期間にわたって子どもが不登校だと、ご主人からお母さんも責められて精神が病んでしまい、家庭内がギクシャクしてしまう家庭が多い。親子で心療内科に通院するケースも多々あります。でも、青山さんはよかったね」


先日、小学校でお世話になった先生にこのように言われました。
いえいえ、私もどれだけ長女に不満を持ったことでしょう。応援してくれた友達の思いもくんで、せめて修学旅行には参加してほしかった。長女の気持ちを受け止め、彼女の意思を尊重するには、なかなか時間がかかりました。
しかし、特に悲観したり、ネガティブにならなかったのは、本会の「朝起会」に参加することで、よいモノの見方、心の受け止め方ができ、「この子はきっと大丈夫!」と信じることができたからです。
そして何よりも、講演会で上廣代表から学んだ「子育てに大切な5つのポイントは、待つ、見守る、寄り添う、聴く、共感する」という言葉に励まされ、心を支えられたからこそ、私は娘を信じられたのです。最近では「長女がよく寝て、よく食べ、健康で元気ならいいやん」と心から思えます。

中学2年生の春頃、「私、中3からは別の中学校へ行きたい」と言い出しました。その中学校は、3年前に中部地方で初めて開校した「不登校児専門公立中学校」です。全校生徒40名程度、2、3年生の編入は若干名の規模の学校です。市内在住が条件で、県外から転居してまで入学を希望する方もいるほどの狭き門です。
今回、長女自ら志願し、チャレンジすることになりました。説明会には90組もの親子が参加し、「こんなにたくさん希望する子がいるのか。厳しいかもな」と不安になりました。

12月の個別面談で長女は、先生方に「今までしてこなかった小5~中2の勉強をしたい」「友達をつくりたい」「青春したい」「思い出をつくりたい」「ブランクを取り戻したい!」と話しました。彼女の横でこれまでのことを思い出し、自信なさ気だった長女が「こんなに、しっかりと話せるようになったのか」と思わず涙があふれてきました。一生懸命、涙を流しながら受け答えをする姿に長女の本気を感じました。

1か月後、担任の先生から「入学が決まりました。おめでとうございます」と待ちに待った電話をいただきました。
合格を知らせるため、娘にかけ寄りました。「ダメかと思った」と答える彼女と抱き合い、泣きながら喜び合いました。
新しい環境に慣れるまで、これからもいろいろな苦労があると思います。そんな時こそ娘に寄り添い、見守ることのできる一番の応援団長「母さん」になれるよう、がんばります。

自分が主人公になる生き方

中田 有弥美さん

中田 有弥美さん

なかた・あやみ
1996年生まれ、27歳。保育士。広島県在住。会友歴27年。

私は保育園で、保育士として働いています。
園の行事で親子遠足があった際、司会・進行をしていた先生の声が、保護者の方にも子どもたちにもなかなか伝わらない事態に陥りました。
思い出すだけでもヒヤヒヤしてしまう状況でした。

遠足後、職員全体での反省会の際、その先生が「自分は声が小さいので声の大きい〇〇先生や中田先生に司会をお願いしたらよかった」と涙を流されました。
彼女から自分の名前が出た時、声が小さいと思っているならば、お腹から声を出すとか、口を大きく開けるとか、努力が必要なのではないか。できないことを理由に逃げてはいけない。私も人前で話す時は緊張するけれど、意識して大きく声を出しているのに……と、その先生を心の中で責めていました。

普段の保育の中でも、その先生に自然と苦手意識を持ってしまい、なかなか距離を縮められませんでした。
しかし先日、私の仕事の期限が迫って焦っていた時、その先生が「何かお手伝いはありますか?」と声をかけてくれたのです。その一言で焦りと不安な気持ちが小さくなり、自分の仕事もある中、手を差し伸べ、周りの人を支えようという彼女の姿勢にハッとしました。
今まで「これはこの先生の仕事だから」とすべてを任せていたのではと反省し、親子遠足を振り返っても、司会の先生を責めるのではなく、保護者の方や子どもたちをもう少し前に誘導し、声が届くように私が動くべきだったと自らを見つめる時となりました。

そして、本会の「どんなところにいようと、何をしようと、自分が主人公となって行動する」という『随処に主となれ』の教え、そして「好きな実践だけでなく、退屈でつまらない実践でもあえて楽しむことが大切」との教えが思い起こされました。
それからは、彼女が子どもたちの前で保育をする時こそ、誰よりも大きな声で歌ったり、体を大きく動かして一緒に場を盛り上げ、主人公になった気持ちで、全力で楽しむことを意識するようにしました。すると、その先生の歌声も弾んでいるようで、自然と子どもたちにも笑顔があふれていたのです。
職場での難しさや、反対にうれしく感じることも彼女とよく話すようになり、今では一番といっていいくらい、何でも話せる同僚です。

相手に批判的な気持ちが出る時ほど自分を見つめ、行動を変える。すると、よりよい空気が職場全体に広がっていきます。相手を責めるより、もっと上質な生き方を選び、実践を楽しんでいきたいと思います。

心のスパイス

横山 響さん

横山 響さん

よこやま・ひびき
2005年生まれ、18歳。学生。青森県在住。会友歴18年。

私は3月に高校を卒業しました。高校では調理師コースを選択し、調理の勉強をしました。
言い方がきつく厳しいので、調理担当の女性の先生が苦手でした。少しでも間違うと「何してるの、できないならやめたら」「言われたこともできないで、耳ついてるの」などと言われ、涙が出た時もありました。

先生は未婚なのですが、生徒たちの間では「あれだから、結婚でぎねんだや」と言われていました。
なぜ、この先生はいつも嫌みなことしか言わないのだろう。私は不思議でした。
母に先生の話をすると、「そういう人って、社会に出れば必ずいる。でも、そういう人ほど自分のプラスになるんだよ。心のスパイスだよ」と言いました。

その時、以前うかがった上廣代表の言葉を思い出しました。
「私は自分と違う意見を言ってくれる人ほどありがたいと思って素直に受け止めます」という言葉です。
この言葉を思い出し、きっと上廣代表だったら、こんな時もプラスに受け止めていかれるだろうなと思ったのです。
すると、先生は私たちに立派な調理師になってほしいから厳しく接しているのかもしれないと思えてきたのです。だから、私から先生に歩み寄っていこうと決めました。

検定試験の献立を決める時、あえて先生に意見を聞きに行きました。先生は不機嫌そうに「私だったら、こんなふうにしないわよ」と一言。変更した献立を持って行くと「まあまあね。あなたがやることだから」と二言。

実習の時もしつこいくらいに質問しました。すると先生が次第に側にきて「どう? ちゃんとできてる?」と声をかけてくれるようになりました。
その後、検定試験の結果を先生から受け取る時、私の顔をじっと見ながら合格通知を渡してくれました。私はうれしくて泣いてしまいました。
先生は「私まで泣いちゃうじゃないの。だってあなた、何回も来て言われたことをちゃんとやったのだから、合格して当たり前よ」と言ってくれました。
合格したことよりも、あんなに苦手だった先生のことがいつの間にか大好きになっていたことがうれしく、先生のことを悪く思っていた自分を強く反省しました。
先生が「あなた、クラシックバレエやってるんですって。これでも私、昔バレエを習ってたのよ。今はこんなに太ってるけど」と言ったので、みんなで笑いました。

ともすると、きつい言葉を向けてくる人を私は批判したくなります。しかし、どんな人の言葉も素直に受け止めることで、自分が変われることを知りました。人生には心のスパイスが必要であることを、その先生を通して学べました。
高校生活でのいろいろな出来事は、私に必要だったのだと思います。これからもいろいろなことがあると思いますが、結果を恐れずに一歩を踏み出して前に進んでいきます。

おっさんという自分と向き合って

津田 稔也さん

津田 稔也さん

つだ・としや
1985年生まれ、38歳。会社員。山口県在住。会友歴35年。

両親が本会と長くご縁があり、私は小さい頃から、「迷った時は自分にとって最も厳しい選択をすること」と教えられて育ちました。父は多くを語らず、決めたことを貫く性格で、どんなに寝不足でも朝起会に集い、黙々と仕事に行っていました。
そんな両親を見て育った私は、成功とは大変な苦労と惜しみない努力の末にやっと得られるもので、辛抱と我慢こそが実践なのだと、心のどこかで思っていたのです。

そんな昭和世代の私も、最近、上司から言われた一言にハッとさせられました。
「津田君ももうそろそろ中年になるんだから、立派なおっさんだよ。おっさんは笑わないと、ただの怖いおっさんだよ」と言われたのです。

返す言葉が見つかりませんでした。自分ではまだまだ若いつもりでしたが、周りから見れば立派なおっさんです。しかもただのおっさんではなく、怖いおっさんだったのでした。美徳と思っていた寸暇を惜しんで働く姿は、周りから称賛されるものではなく、周囲を寄せつけないオーラをまとった怖いおっさんでしかなかったのです。
その時初めて、怖いおっさんのままではダメだと思いました。スケジュールに追われて悲壮感を漂わせるような働き方ではなく、余裕を持って仕事をし、周囲に気配りできるようにならないといけないと気づかされました。

またつい最近、職場で個人面談があった時のことです。
上司から「津田君の長所は、どんなに逆境でも不屈の闘志でどんどん仕事を進めてくれるところです。短所はその反対。もう少し周りを見て柔軟になって融通を効かせてほしい」と指摘されました。

ドキッとしました。家庭で子どもたちに接する態度をもう少し柔軟にしてほしいと、私が妻に思わせているからです。

わが家には4歳の長女、3歳の次女、1歳の三女の三姉妹がいます。みな年相応に甘えたり、泣いたり、けんかしたりします。そのことがほほ笑ましくもあるのですが、口で伝えてわかってくれる長女と違い、次女は右と言えば左を向き、お願いをすると必ず「いや」と言う天邪鬼(あまのじゃく)です。そんな次女に対して、大声で叱ってしまうことがよくあります。
次女が物を投げ、私をたたいたことがありました。「まっちゃん、何で投げたの? 何でたたいたの?」と私が尋ねると、「嫌だったの、悲しかったの」と答える次女に、優しく「パパも悲しかったんだよ」と言ってあげることができず、「もう、まっちゃんなんて、あっち行って」とねてしまう始末です。
そんな時、妻はすかさず「パパもね、痛かったんだって、悲しかったんだって」と私の気持ちを代弁し、その場を収めてくれます。そのことが思い出され、子どもの気持ちを察してあげられない姿勢が、そのまま職場でも出ているのかもしれないと思ったのです。

若い頃なら失敗を恐れず、ただ信じた道をがむしゃらに突き進むだけでよかったのかもしれません。しかし、今では三女の父親であり、40歳も間近に迫った中年のおっさんです。周りのことが見えていて当然だし、柔軟に行動を変えることが求められる年齢であることに気づきました。
ずっと、若気の至りで済ませることができる年齢ではなかったのです。

私は今年の年頭、上廣代表が話された「ライト感覚な実践」という言葉が非常に強く心に残っていたことを思い起こしました。
上廣代表は昨年秋のEthics Fan Meetingで、勉強のできなかったビリギャルが慶應大学に受かったお話を引き合いに出されました。
ビリギャルが一念発起し、慶應大学に合格することができたのは、教師に見放されても、最も身近なお母さんが彼女のことを信じ続けてくれたからでした。彼女のやる気を引き出した五つのポイントは、ワクワクする目標を持つこと、根拠のない自信を持つこと、一歩踏み出す勇気を持つこと、目標や夢を公言すること、マイナスの感情をプラスの力に変えることでした。

40歳間近のおっさんですが、真面目に愚直にがむしゃらに孤高の努力をするのではなく、ライト感覚にゆとりを持つよう自分を見つめ直したいと思います。次女に周囲の方々に、寄り添い融通を効かせられる、そんなよりよいおっさん、笑顔の似合うおっさんを目指し、努力したいと思います。

息子に気づかされた人と人との本当のつながり

松本 圭吾さん

松本 圭吾さん

まつもと・けいご
1983年生まれ、40歳。エンジニア。京都府在住。会友歴40年。

私は妻と8歳の長女、5歳の長男の4人家族です。5年前に実家をリフォームし、現在は両親と同居しています。
仕事は産業機械メーカーに勤めており、日常生活を支える機械に搭載される電子基板の開発、設計を担当しています。担当した基板が機械に組み込まれ、世界中で24時間稼働しています。全国の少なくとも3割くらいの方々は、私たちの機械が関わった製品を持っておられると思います。皆さんの生活を支えていることを誇りに思い、やりがいを感じています。

そんな私も入社16年目を迎え、昨年から研究部に異動となりました。研究部への異動を通達された時、感謝と楽しみな気持ちが胸に湧きました。もちろん不安もありましたが、異動に対して、とても前向きな気持ちでした。当時は、まさかコミュニケーションに悩まされることになるとは1ミリも考えていませんでした。

異動して2カ月は順調でした。しかし、3カ月が過ぎた頃、元同僚から「松本は研究部に染まってしまったな」と言われました。
驚きながら話を聞いていくと、「研究部ではなく元の部署の立場で報告してほしい」「普段、研究部で何をしているかわからないので、時間があるならもっと考えてから報告してほしい」と言われました。その場ではよく理解できず、「そうですかね」とだけ返して去りました。
帰り道、同席していた研究部の同僚が、「ほぼ裏切り者扱いでしたね。大丈夫ですか」と声をかけてくれました。時間がたって状況が理解できてくると、徐々に怒りが沸いてきました。

元同僚が言った内容は、もちろん意識していました。意識した上で研究部の意見も踏まえ、私は元の部署に報告をしていました。
元の部署の意向に沿わなければ、なぜ「違う」と頭ごなしに言えるのだろうか。今まで築いてきた信頼関係は何だったのか。さまざまな負の感情が出てきて、いつしか怒りは悲しさに変わりました。

悪いことは続きます。もしくは私の心の有りようが表面化したのでしょうか、それまで順調だった開発が急に進まなくなり、思うように結果を出せなくなりました。
憂鬱(ゆううつ)な気持ちで帰宅する日が増えましたが、家族が私の暗い気持ちを晴らしてくれました。玄関のドアを開けた途端、嫌いな夕食のおかずについてワイワイ騒ぐ子どもたちの声、学校や幼稚園で楽しかった出来事を子どもたちから聞く時間。仕事に関する憂鬱を感じる暇もない、家族とのたわいのない生活が本当にありがたかったのです。

ある日、子どもが一つのヒントをくれました。長男を寝かしつけていた時、幼稚園でしているテレビの人気番組をまねた「逃走中ごっこ」で、大好きなハンター役をいつもできるのが楽しいと、うれしそうに話してくれました。その時、長男がいつも好きな役をすることを友達は許してくれているのか私はたずねました。そして最後に、「ちゃんと友達の意見を聞いて、代わってほしい子がいたら順番に遊んでね」と伝えました。
長男が寝静まった後、先程の話をほほ笑ましく思い返していると、ふと自分の状況と重なることに気がつきました。そして思ったのです。私は元の部署のメンバーとコミュニケーションする努力をしてきただろうかと。

答えはNOです。そして心に湧いてきたのは、「このままではいけない。子どもに言う前に、自分ができていない」という反省の気持ちでした。
では、どう改善していくのか。その答えは私も知っていました。長男に伝えた通り、話し合うこと。自分からコミュニケーションをとらなくてはいけないと思いました。
今までの関係性や状況に甘えるのではなく、小さなことでも頼みごとがあれば直接出向き、結果が出れば直接お礼を言いに出向く。簡単なことから始めました。効果はまだわかりませんが、少なくとも私の心の有りようは変わることができました。

本来、研究部も元の部署も「お客さまによい製品を提供する」という点で共通の目的に向かっています。私は両者のよいところも悪いところも知っています。だからこそ、よい部分を掛け合わせ、よい製品づくりの足掛かりになれればと、私は強く思うようになりました。

現在、コミュニケーション・ツールはとても発達しており、いつでもどこでもつながれます。しかし、本当につながるべきは人と人です。できていると思いあがり、できている「つもり」にならないよう、日々のつながりを大切にしていきたいと思います。

母が教えてくれたこと

難波 慎さん

難波 慎さん

なんば・まこと
1968年生まれ、55歳。岡山県在住。会友歴20年。

私は、公務員で妻と社会人2年目の24歳の長男と3人で暮らしています。隣町には一人暮らしをしている80代の母親がいます。

先日、母との電話でのやりとりの中で「何か欲しいものある?」と私が聞くと、「たまにはおいしいお肉が食べたい」と母が言いました。80歳を過ぎても肉が食べたいと言ってくれるのは、ありがたいことだと思い、ちょっと奮発して母親に肉を届けました。

それから2、3週間たち、母のもとを訪ねると、肉は送ったままの状態で冷凍されていました。「せっかく送ったのに食べてねーが、どうしたん」と私が聞くと、「もったいねーけー、とっとるんじゃ」「解凍するけー、一緒に食べようや」「おいしく焼いてほしい」と私に言うのです。
母にと思って届けた少しばかりの肉を一緒に食べるのはいかがなものかと思いましたが、まあいいかと台所に立ちました。私が焼いた肉に、母が作った味噌汁と常備菜。久しぶりに母と二人だけで、たわいない話をしながら食事をしました。
肉は長期間冷凍されていたせいか、味は想定以下でした。一方、「今日は、最高においしかった! ありがとう!」と、母の喜びようは想像を大きく上回るものでした。私自身も50代半ばのいいおじさんではありますが、日頃一人で食事をしている母にとって、息子が届けてくれた肉、息子のために作った味噌汁を囲んで一緒に食事ができたことがうれしかったのでしょう。

物を贈るだけでなく、たまにはちょっと足を運んで顔を見せて一緒に食事をする。その「もう一押し・あと少しの気遣い」を添えることによって、冷凍のまま放置されていた肉が生きて働き、1人暮らしをする母に対して最高のプレゼントになった気がするのです。これは昨年、本会の雑誌に掲載された上廣代表の「大切な人に寄り添う」というテーマの文章から学んだことです。

親というのは、本当にありがたいもので、年を重ねても忘れかけている何か大切なことに気づかせてくれる存在です。そしてまた、どこか遠くにいても、「あの時、親はこんなこと言うとったな」など心の中で生き続けると思うのです。
親の思い、その思いに寄り添って生きていくことは、今回のことで言えば、私、母、そして母と一緒にいただいた牛肉など、私自身だけではなく、私を取り巻く人や物の命を輝かせることにもつながっていくのではないかと感じるのです。

命を輝かせる。振り返ってみると、私は55年前、命を授かりました。4300グラムのとても大きな男の子でした。「大きな子で、もうほんま死ぬか思うた」と、遠い昔、母が出産の時のことを話してくれたことが思い出されます。本当に難産だったようです。

ふと、これまでを振り返ってみると、私にもいろいろなことがありました。喜び、怒り、哀しみ、そして楽しみ……。しかし、これらの体験ができたのも、母が本当に苦しい思いをして産んでくれたからこそです。
日頃は完全に忘れているのですが、私に命を授けてくれた親への恩を思い起こす機会をいただき、感謝しています。そして、せっかくいただいたその命を不足の思い満載で生きていくのではなく、今あるこの命を心豊かに生きていきたいものだと、今さらながら感じます。

つい先日、今度は母から小包が届きました。近所の人と一緒に作った味噌と白菜の漬物が入っていました。「白菜の漬物おいしいが」とお礼の電話をすると、聞いてもいないのに漬物の作り方をずっと話していました。
そして1週間後、おかわり漬物が届きました。どうも調子に乗って何人か近所の人にも配ったようです。母の年齢的な衰えは否めませんが、こうして私たち家族や周囲の人たちの喜びを自分の喜びとし、地域の人たちに支えていただいて明るく元気に暮らしています。離れて生活をしている息子にとって、これほどありがたいことはありません。

本当に親というのは、いろいろと教えてくれるものです。今日一日、母が教えてくれた今あるこの命の尊さを意識して、今この時、この命の時間を、心豊かに輝かせて生きていきたいと思っています。

イラスト/モリナオミ

この記事は有料記事(500円/号)です

購入すると「創刊準備号」の全記事をお読み頂けます。

すでに購入済みの方はログイン