アクション作品に軸を置きながら、映画にドラマ、舞台など幅広く活躍している実力派女優の屋敷紘子さん。ほかライターや司会業も務め、近年では起業家としての顔を持ち、東京と三重での二拠点生活をしている。マルチに活躍する屋敷さんに、自分らしく人生をエンジョイする秘訣(ひけつ)をうかがった。
やりたいことであれば何でもやればいい!
若さゆえの勢いでイギリス、韓国へ単身演劇留学
Netflix映画『新幹線大爆破』をはじめ、『マンハント』『るろうに剣心』など、さまざまな作品に出演する屋敷紘子さん。現在47歳の彼女だが、スピーディでキレのあるアクションを得意とする女優としても知られ、英語、韓国語での演技もできる稀有(けう)な存在の一人だ。そんな多才ぶりを得ることになったのは高校卒業後、イギリスに渡り、演劇を学んだことが始まりだった。
「将来の進路がうまく決まらなかったんです。お芝居をやりたいけれど、親には反対されて。どうしようと悩んでいた時にイギリスに行っていたいとこが帰国して、『芝居をするなら、イギリスだろ、シェイクスピアの国だろう』と背中を押してくれた。それで『大学に行かなくてもいい。代わりに1年でもいいからイギリスに行かせてほしい』と親に直談判したんです」
3月に高校を卒業し、5月には渡英しロンドンに。
「英語なんて高校時代は赤点でした(笑)。なのに、とりあえず行ってみて、後のことは行った先で考えようと思っていました。今思えば無茶ですね、まさに"若気の至り"。でも挑戦はある程度、無知じゃないとできない。私は怖いもの知らずでしたから、それが功を奏したんだと思います」
イギリスでの生活はトータルで3年弱。最初の1年は朝も夜も英語学校に通い、英会話漬けの日々だったという。その後、ある程度コミュニケーションが取れるようになってから外国人を受け入れてくれる演劇学校を探し、2年目から通った。
「私の英語のレベルは怪しかったと思います。でも役者って面白いもので、台本というバイブルがあると、イントネーションが多少変でも理解してもらえる。そうやって物怖じもせず、演劇学校では学びました」
21歳で帰国すると、地元・大阪で半年間バイトをして資金を貯めて上京。エンタメ情報誌に載っている作品のオーディションに手あたり次第あたった。そんな中、たまたまオーディションを受けた映画で『VERSUS』(北村龍平(きたむらりゅうへい)監督)のアクション監督を務めた下村勇二(しもむらゆうじ)さんとアクションチームに出会ったことがきっかけで、アクション映画の魅力に引き込まれたという。
「それまでアクション映画には全く興味がなかったんです。ところが、やってみたら実際には殴らないけれど、殴ったように見せるテクニックなど、表現の仕方をもっと知りたくなった。ちょうどその頃、『殺人の追憶』などの韓国映画がはやり始め、アクションがすごかったんです。それでまた昔の悪い虫が動き出して、『じゃあ韓国に行っちゃえ!』みたいな感じになりました(笑)」
韓国では映画『シュリ』『ベテラン』などで知られるアクション監督チョン・ドゥホン率いるアクションスクールに入った。
「パソコンのキーボードにハングル文字のシールを貼り、頑張って学校にメールを送りました。韓国語はNHKの『ハングル講座』などで簡単なコミュニケーションを取れる程度に勉強しましたが、会話はさっぱり。しどろもどろでしたが、人間って怒られている時は大体わかる。それよりも、韓国俳優たちの表現力のすごさを目の当たりにできたことはいい勉強になりました」

憧れの映画監督からのひと言が女優業を続ける力に
韓国でアクションを学んだことが大きな武器になった屋敷さん。その一方で、本格的なアクションができる女優というイメージに悩まされたこともあったとも語る。
「一時期、あまりにもアクションのイメージが強くつきすぎて、少し煩わしく感じた時もありました。とはいえ、日本は若い世代にしかアクションを求めないけれど、何かあった時に、『アクションは屋敷』と頼りにされることがある。やっぱり、自分の武器になっているんだなと思います」
さまざまな作品に出演していくなかで、忘れがたい人との出会いもあった。それは2013年の映画『甘い鞭』でメガホンを取った石井隆(いしいたかし)監督だ。
「2022年に亡くなられたんですが、私にとって一番好きな映画監督で、ファンでした。まさか石井監督の作品に出られるなんて思っていなかったんですが、たまたまキャスティングをしている人が私のことを知っていて紹介してくれたんです。役どころはSM嬢で、初日が一番ハードな撮影でした。当然、大緊張してしまい、監督を前に何もしゃべれずにいました。呼び出され怒られるのかと思っていたら、たったひと言、『屋敷くん、良かったよ』と。女優をやっていて本当に良かったと心底思いました。その後のシーンからはめちゃくちゃダメ出しされましたが(笑)、あのひと言があったからこそ、女優をずっと続けていこうと思いました」
もっとも年を重ねるにつれ、役者ならではの難しさにも直面してきたと明かす。
「役者は年齢によって仕事がある世代、ない世代というのがあるんです。とくに女優の場合、30代後半から40代前半は難しくなる。母親役には若すぎるけれど、バリキャリの30代OLとなると少し年上過ぎて、社長クラスを演じるにはまだ若い……、役者として一番しんどくなる時期があります。そんな中、とある監督に『厳しくなるけれど耐えろ。そこで多くの人がつらくなって辞めていく。チャンスはきっとくる。違う仕事をやってもいいから、辞めずに役者を続けろ』と言われ続けてきました。ようやく今、一番暗かったトンネルを抜けたあたりなのかなと感じています」
