「{ わたしの原点 } 田中 雅美さんインタビュー」ヘッダー

3大会連続出場オリンピアンという輝かしい経歴を持つ元競泳選手の田中雅美さん。そんな彼女にも挫折やコンプレックスがあり、様々な過去の経験を経て今の充実した生活や自分があるという。田中さんに自分らしく生きる秘訣や理想のライフスタイルをうかがいました。


常に今の自分が一番いい充実感をもって生きる

憧れが目標へ、初の挫折もオリンピックの貴重な経験

スポーツコメンテーターやタレントとして活躍する田中雅美(たなかまさみ)さんは、かつて3度オリンピックに出場した競泳・平泳ぎの選手だった。中学時代に才能を認められ、卒業後に北海道から上京し、八王子高校に入学。JSS東京八王子クラブに所属し、頭角を現していった。

「中学3年、高校1年の時に記録が急激に伸びていって、高校1年で日本水泳選手権の100m、200mの平泳ぎで優勝しました。東京に出てくる時はオリンピックが遠い憧れでしたが、そこからチャンスがあるなら行ってみたいという、自分の目標になったんです」

日本記録を更新して高校3年生で日本代表に選出。1996年のアトランタでオリンピックに初出場したが、成績は100mが13位、200mは5位という結果だった。

「最初のオリンピックは緊張しました。100mはそれまですごく調子が良かったんですが、本番では思うように泳げなかった。200mでは自己ベストを出したのに、それでもメダルに手が届かないという現実や世界との差を知りました。でも挫折ではなく、次のオリンピックへの目標を明確にしてくれる、大事な経験になりました」

田中さんは中央大学へ進み、2000年のシドニーオリンピックに向けて、練習を開始する。

「オリンピックは憧れから、戦う場所、勝ち取る場所に変わりました。結果を出すことだけをイメージして練習していたので、2度目のオリンピックの方が精神的につらかったです。泳いで手応えをつかんでいるはずなのに、いいタイムが出なかったらどうしようとか、ネガティブな感覚に襲われました」

そんな時、気分転換のためにやっていたのが、ネイルを塗ること。

「合宿中とか選手村でも、すごくネイルをやっていました。ネイルをしている間は他のことを考えないので、気持ちの切り替えに良かったんです。でもそれがいい方向に作用したかと言えば、いい結果は出せなかった。メダルに手が届く記録を持っていたのに、本番で力が出し切れなかったんですよね」

シドニーオリンピックの個人種目は、予選での好調を維持できず、100mが6位、200mは7位。

「頑張っても意味がないなとか、努力しても裏切られるような感覚に陥って、本当に人生の大きな挫折を味わいました」

ただ個人種目は終了したが、まだ団体の女子400mメドレーリレーへの出場が残っていた。

「正直、泳ぐのが怖かった。これでメドレーリレーチームがメダルを獲れなかったら、自分の責任だと思ってしまって。でもチームの先輩、大西順子(おおにしじゅんこ)さんが『私たちは絶対メダルを獲れるから、自信を持って泳いで』と言ってくれて、その言葉に勇気をもらいました」

結果は第3位で銅メダル。オリンピックで初のメダルを手にした。

「あの銅メダルには救ってもらいました。何も獲れずに終わっていたら、希望を見いだすことが難しかったと思います。仲間のおかげでメダルが獲れたことで、自分がそれまでやってきたことを、ポジティブに捉えることができたんです」

もうこれ以上の努力はできないほど競泳はやり切りました

田中雅美さんのプロフィール画像

渡米後、新たに見つけたスポーツとの向き合い方

この後、第一線から身を引き、2年ほど水泳から遠ざかったとされているが、実際は違っていた。

「翌年の年明けには4年後のアテネオリンピックを目指すことは決っていました。ただシドニー大会が終わって半年間は気分が乗らなくて、一切泳がなかったですね」

大学を卒業した2001年春、彼女は水泳選手としての新天地を求めてアメリカへ留学した。

「今はいろんなアスリートが海外へ行って練習しますが、共感できますね。向こうへ行くと自分は何者でもなくて、気分的に解放されるんです。それまでは国際大会に出れば絶対メダルを獲れるという、周りの期待があったし、自分もそうなんだと思い込んでいました。

でもアメリカでチームメイトが楽しそうに水泳をしている姿に触れた時、自分は楽しくやれていなかったと気付いて。これだけ人生懸けてやってきたんだから、水泳が楽しい、好きって言えるべきだと。自分らしく水泳に向き合えたのは、海外へ行って良かったことです」

留学中の2002年、ソルトレークシティ冬季オリンピックのリポーターにも抜擢された。

「ありがたいことでしたが、あの時は反省点も多くて。自分がアスリートだからこそ、伝えられることがあると思いましたが、伝えることはすごく繊細だし、まだ勉強不足でした。でも伝えるお仕事には昔から興味があって、この時には、他の競技の方から刺激をもらいました。モーグルの上村愛子(うえむらあいこ)さんは悔しい結果に終わりましたが、『やっぱりモーグルが好きです』とおっしゃった言葉が心に残りましたし、スピードスケートで銀メダルに輝いた清水宏保(しみずひろやす)さんの最後まで諦めない姿も印象的でした」

他の競技の選手に刺激をもらった彼女は2004年のアテネオリンピックを目指して、自分が何をすべきか考えるようになった。

「それまではカリフォルニアにいましたが、当時平泳ぎの世界記録を持っていた選手を育てたコーチがバージニア州にいたんです。どうしても教わりたくて自分でコンタクトを取りました。コーチは受け入れてくださって、田舎町の森の中にポツンとあるスイミングクラブで1年間練習しました」

アメリカから戻り、選考会を経て日本代表に復帰した彼女は、3度目のアテネオリンピックに挑む。

「集大成のつもりで臨みました。200mでは100分の5秒差でメダルを逃したので悔しかったものの、結果には納得しています。未だに個人種目メダルを獲れなかったコンプレックスはありますが、もうこれ以上の努力はできないほど、やり切った感がありますから」

スポーツや子育てなど
自分の経験や学びを発信できることを増やしていきたい

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